「日々の暮らしに追われて、念仏をする時間すらない人は救われないのか」
親鸞聖人が越後に流罪となって以降お考えになったことです。
浄土真宗の教えの中にある「他力本願」。
これは、他人の力をあてにして自分では何もしないという教えではありません。「他力」は阿弥陀仏の本願力(阿弥陀仏が衆生を救おうとする大きな力)のことで、「本願」は阿弥陀仏が悟りを開く前の法蔵菩薩だっ時に、すべての人々を救う力をそなえた仏となりたい、と誓った48の願いを指します。
その中で「私が仏になった時、衆生が私の真心を受け取って、疑いなく信じ浄土に生まれようとするわずか10回でも念仏を唱えるようにさせたい。それでもし衆生が浄土に往生できないのなら私は仏になるまい。」という誓いをたてられ、そして悟りを開いて阿弥陀仏となられました。この本願に基づく救済の力を成就したことを本願力と言います。
私たちも日々の暮らしに追われ、念仏えをお唱えしたり、仏の教えを学ぶことをおろそかにすることが多いと思います。
でも、南無阿弥陀仏とお唱えし阿弥陀様にすべておまかせし、日々を精一杯生きる原動力にするのも良いのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏