共生の難しさは、日々の中で度々感じることである。年齢も育った環境も、価値観も異なる者同士が、同じ場で過ごすなかで、ちょっとした意見の食い違いや捉え方のズレ、言葉のチョイスミスなどで、トラブルに発展することが多い。特に私の職場環境は、成長途中の10代が大半を占めているので、その対応はむずかしい。
我々、いわゆる「大人」であれば、まあ、妥協したり、ちょっと我慢したり、やり過ごす、といった処世術が多かれ少なかれ備わってしまっていると思うので、大した問題じゃないと感じる事でも、若い世代にとってはなかなかそうもいかない。それぞれの性格や価値観の違いを少しずつすり合わせながら、妥協点を探させなくてはいけない。
儒教の考え方に「和して同ぜず」という言葉がある。これは意見の異なる人とコミュニケーションする際に、いたずらに対立するのではなく、相手の意見を尊重しつつも、自分の主張を簡単には譲らない。という成熟したコミュニケーション術である。見解の多様性を尊重しつつ、調和や平和をつくることだ。
とはいえ、これはなかなか実践が難しい。我々「大人」といわれる人でも、気を付けないとつい、感情が先行したコミュニケーションに陥りやすい。ましてや多感で未熟な10代にこれを即座に実行せよ。などとはとても言えない。時間をかけて少しずつ理解をしてもらうしかないのだろう。
怒りや妬み、不平不満は、その価値判断や価値基準、能力といった事柄をすべて、「自分基準」にすることで起こるのだろう。そうした視点をちょっとずらして見るだけで、見える景色や聞こえる言葉は随分と違ってくるものだと思う。