Report by 釋 明淳
迷いの正体とは?仏教が説く心の在り方
人間が人生において「迷い」を感じるのは、欲望や感情に揺さぶられ、自分が本当に望んでいる生き方を見失うときです。こうした迷いを超えた境地、すなわち「悟り」とは、単なる特別な宗教的体験を指すのではなく、日常の中で「迷いのない状態」で生きる心の在り方と言えるでしょう。この境地に至るための実践的な仏教キーワードとして「精進」に注目し、その意味と現代における意義について考察します。
精進とは何か?単なる努力ではない仏教的な意味
仏教における「精進」とは、単なる努力を意味する言葉ではありません。それは、煩悩に負けず、正しい方向に向かって継続的に努力する姿勢を指します。そこには、自我の欲望に振り回されるのではなく、「真の幸福」に向かって心身を整えていくという精神性が込められています。
精進とは、「目の前の快楽に走らず、長期的な幸福の視点を持って、自分と他者を共に幸福にする行為に努めること」です。これは一過性の感情に流されない、深い自己との向き合いを必要とします。
短期的な快楽と精進がもたらす長期的な幸福
人は本能的に、食欲・性欲・物欲など、生存に直結する短期的報酬、すなわち快楽に惹かれます。しかし、快楽には中毒性があり、それが満たされてもまた新たな欲が生まれ、永続的な満足には至りません。
これに対して、「精進」は未来に向けての持続可能な幸福を志向します。例えば、日々の健康的な習慣、技術の向上、他者のために尽くす行動は、すぐに成果が出るものではありませんが、長期的に見て、自己肯定感や人生の意義を育む土台となります。この実践こそが、迷いを断つ確かな仏教の実践方法です。
精進の実践が「迷いを越える」力を育む
「悟りとは、迷いが消えることである」と言われます。現代社会において迷いは完全にはなくならないとしても、精進の習慣を身につけていくことで、迷いに飲まれず、正しい選択を繰り返す力が身につきます。
目指すべきは、「迷わない自分」をつくることではなく、「迷いに左右されない自分」を育てていくことです。これは修行の道であり、生涯をかけて磨いていくべき内的態度です。
人間の本質:利他性による心の満足
近年の心理学や脳科学の研究によれば、人間は他者の役に立つとき、報酬系の神経が活性化し、喜びを感じるという結果が出ています。つまり、人は本能的に「利他性の行為」を通して自分の存在意義を確かめ、心の満足を得る生き物なのです。
精進とは、まさにこの「利他性」を育てていく道でもあります。目の前の欲(煩悩)に打ち勝ち、誰かのために生きる姿勢は、結果として自らの迷いを減らし、確かな道を歩んでいるという実感を与えてくれます。
結論:現代社会における精進の道標
精進とは、派手さや即効性のない地味な営みかもしれません。しかし、そこには「迷いを超え、人生を本来の道に戻す力」が秘められています。
短期的な快楽を断ち、長期的な充足を選ぶこと。利己を捨て、利他を選ぶこと。
このような「精進の実践」こそが、煩悩を断つ確かな方法であり、迷いの多い現代において、最も確かな悟りへの道標となるでしょう。
仏陀倶楽部 愛葉代表の教えを胸に、私たちも日々、正しい精進の道を歩み続けましょう。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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