ある方がおっしゃっていた言葉が、とても分かりやすく心に沁みたので記したいと思います。
(ボールペンを持って)「これは何ですか?」これはペンですよね。でもこれを子犬に差し出すと?子犬ちゃんはこれを、おもちゃだと思いますよね。これは、あなたにとってはペンですよね。では、これを置いてあなたもこの部屋から出て、子犬ちゃんもこの部屋からいなくなると、これはなんですか?
ただのモノですよね。
これがペンだとすると、子犬ちゃんが入ってきたとき矛盾が起きるもんね。だからこれはただのモノ。なんでもないよね?何でもないけど、何でもないわけではないよね。
この状態のことを、仏教では「空」と呼ぶんですよ。
あなたがこの部屋に入ってくると、これはペンになるよね。子犬ちゃんが入ってくると、これはおもちゃになるよね。では、あなたが入ってきたときにこの物が勝手にペンに変わったのか?あなたが、物をペンに変えたのか。どっち?あなたが、この物をペンに変えてるよね。勝手にペンになったんだったら子犬ちゃんがいる場合、バグがでるよね。
このロジックが、あなたの人生の創造主はあなたであるというロジックなの。要は、あなたの人生は全て「空」なんです。それをあなたが認識することによって、この形にしているわけ。要は、私の認識が作ってんじゃん!ってわかった時に、もう一つの人生が始まる。
だから「世界は二つある」っていうのね。これが分かった時に、どんな人生になりたいかってなった時に、外を変えても変わらないのわかる?認識が変わらない限り人生って変わらないの。というお話を聞いたときに、今まで聞いたことあるし分かっているようでわかっていなかった事柄が、すっきりした感覚がしました。
「この世は全て思い通り」「思考は現実になる」「願えば叶う」…etc。これらは全て同じ意味合いから来ているものだと思います。認識している世界は、私たちのこころが作り出したものであると。ということは、認識次第で如何様にもなるという事。辛いことも、悲しいことも、楽しいことも、嬉しいことも全部、私が「そう」認識しているに過ぎないと。だからみんな見えている世界は違うはずだし、違っていて良い。
認識というものを少し意識することで、私が生きている世界には、虹のようなきれいなモノが沢山あったのだと、少し気が付けた気がします。