誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

見えないものを観る力

鹿

 ある日、知人からこんな相談を受けました。

「妻と娘が最近よくケンカするんだけど、どうしたらいいのか分からなくて…」

 話を聞いてみると、特別な出来事があったというよりは、日々のちょっとしたことがきっかけで、言い合いになることが続いているようでした。

  以前の私なら、「どちらかが折れるしかないですよね」と答えていたかもしれません。

 けれど最近、ある言葉を聞いてから、物事の「見え方」が変わってきたんです。

 その言葉を教えてくれたのは、私の知り合いの心理カウンセラーさんでした。

 「どんなものが、その背後にあるのか?観察してみてはいかが?」

 とても静かで、優しい言葉でしたが、不思議と胸に深く残りました。

 その後、改めて相談者の話を聞き直してみると、ふと、こんなことを感じました。

 「もしかしたら、これはぶつかり合っているというより、愛情を確認し合っている時間なのかもしれない」と。

 カウンセラーさんも言っていたのですが、「お互いにエネルギーをぶつけて、愛情を確かめ合ってるんだろうね。可愛いなあ」

 その言葉を相談者の方に伝えると「あ、そうか…」と、少し笑顔を取り戻していました。

 それ以来、私自身も仕事や日常の中で、人との対話を終えたあと、「背景を観る」ようになりました。

 たとえば、お客様が少し厳しい口調だったとき、「実は焦りや不安があるのではないか?」、 「本当は、期待してくれているのかもしれない」そんな風に、見えないところにある気持ちを探すようになったのです。

 そうすると、言葉の奥に、ほんの小さな「願い」や「優しさのかけら」が見えてくることが増えました。

 親子の関係も、上司と部下も、取引先の担当者も、人と人とのやりとりは、決して表面だけでは語れないものばかりです。

 それぞれに、それぞれの背景があって、そこにたどり着けたとき、初めて本当の「対話」になるのかもしれません。

 私がこれから歩んでいこうとしている僧侶の道では、「すべての縁に意味がある」という教えがあると知りました。

 「こう見えるけど、本当はこうなのかもしれない」と一度立ち止まり、「観る眼」をもつことは、どんな人間関係にも通じることなんだと思いました。

 もし、今日誰かの言葉に少し引っかかるものを感じたら、それは、その人の「伝えきれなかった想い」が、そっと顔を出した瞬間なのかもしれません。

 その奥にある背景に、やさしく耳をすませてみて、自身の眼差しが変われば、世界も少しずつ、変わっていくのではないでしょうか。

 背景を観るとは、ただ深読みすることではありません。

 「そこにあるかもしれない願い」に目を向けることです。

 見えないものを見ることは、僧侶としても、人としても、大切な修行だと、日々感じています。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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