誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

幸福感と優越感

審判

 さて、私もそろそろ50歳を目前にして、今更、育ってきた環境がどうとか、親がどうだかというのも、実にみっともない話ではありますが、自身の在り方に疑問を持つことができ、何故そういう考察に至ったのかの中で、やはり環境というものに依存している部分もあると思い、筆をとります。

 私自身の話ですが、多少芸術的な活動をしていますが、師匠と意見が合いません。むしろ喧嘩になり、別の師匠からは破門になることもあったりするのですが、芸術への向き合い方が他者の努力を踏みにじる?うまく表現できませんが、それは優越感を感じた際のホルモンにより、強烈な快感を感じているのだと思います。私は発達障害を持っており、他者の気持ちがわからないというのもありますが、幸福感をあまり感じることがありません。「美しい景色」や「美しい絵画」というのが、いまいちわかりません。先に言ったように芸術的な活動はしており、それなりの絵を描くことはできますが、それは自身の内面の表現というよりも、世間をコラージュした風刺画のようなものを描いております。

 ただ、そのような私の内面とは関係なく、作品はそれなりの技術で描いているため、それなりの評価を受けるので、公募やコンペではそれなりに勝ったりするのですが、そのとき激しい快感を感じます。競争相手が費やしたこれまでの人生や努力を凌駕した感覚になるのでしょう。自身の絵が評価されたことよりも、「勝ったこと」に興奮を覚えるようです。なので、自己研鑽というものにもあまり関心がなく、最終的にはその物事が好きな人には勝てなくなり、その土俵からは退場することとなります。

 私は常に親に馬鹿にされて生きてきました。何を言ってもやっても、うまくいったら御先祖と仏のおかげで、うまくいかない場合は自己責任でした。そういった環境ですから、わかりやすく順位のある世界でのハイスコアは私をなぐさめてくれましたが、同時に自分より結果の劣る相手は見下してよいと感じるようになり、優劣と快不快のホルモン分泌が紐付いてしまい、非常にやっかいな状態になっています。

 私はおそらく、他者の努力や苦労など、積み上げてきたものを壊したときに快感を感じます。他者が私に多くの犠牲を捧げるときに快感を感じます。これらは優越感を強く刺激します。先に言ったように発達障害があるため、セロトニンやオキシトシンなどリラックス系の幸福ホルモンが分泌されず(受容体の働きが悪い)、ドーパミンやアドレナリンのような興奮系の快感ホルモンが優位となっています。

 このような状態は、依存症患者のそれと同じであることは認識しておりますが、どうにも体はその刺激を欲してしまいます。また、行動原理が優越感をベースにしているので、馬鹿にされると感じる空間では激しいストレスを感じます。これは実際に馬鹿にされているかどうかだけではなく、劣等感を感じること自体をストレスとして感じているようです。

 さて、ここまで私の恥部をさらしてはみましたが、このような優越感や劣等感に対しての対処は実に難しい。YouTubeなどでも「その軸は捨てるべきだ」などの動画はありますが、根本的に快不快の根源であり、「捨てる・捨てない」というより、「感じる・感じない」の感覚で、なんとかコントロールしなければならないものでしょうが、いまのところ解決策は見つかっておりません。

 ただ、以前、とある方の書籍で「肯定的な言葉をひたすら唱えれば人生が変わる」といったような内容の本があり、試しに一人の時にひたすら肯定的な言葉を唱え続け、2週間ほどたったころ、急に涙があふれ、物事との価値観や感じ方がひっくり返った経験はあります。そのときは、たしかに幸福感のようなものに包まれた気がいたします。しかしながら、その著者の方の本にも書いてはいましたが、「一気にひっくり返る人間は一気に元に戻る」らしく、今はすっかり否定的かつ興奮系ホルモンの奴隷ではありますが、その体験は忘れられません。

 尚、以前と同じように肯定的な言葉をひたすら唱えても、その時のような状態になることは、今はできません。ただし、その体験前は否定的かつ他責志向だったのですが、現在は否定的ではありますが自責的にとらえておりますし、少しは客観的に自分を見ることができるようになったと感じております。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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