「慈悲深い」「お慈悲をください」「慈悲の心がない」など、何気なく使われている「慈悲」という言葉ですが、その意味をご存じでしょうか。仏様の説いた本来の「慈悲」の意味を知れば、困っている人を目の前にした際の心の在り方が変わります。
この記事では、慈悲の意味や種類について詳しく解説します。ぜひ、慈悲の言葉に秘められた人生を豊かにするヒントを見つけてみてください。
慈悲とは?

慈悲は仏教において、自分以外の者に対して、苦しみを取り除きその者に楽が訪れることを願う気持ちや心の在り方を表す言葉です。
仏教には四無量心(しむりょうしん)という考え方があります。「慈(じ)・悲(ひ)・喜(き)・捨(しゃ)」という4つの仏の教えから、2つを取り出し「慈悲」という言葉で用いられるようになりました。
得藏寺「四無量心(しむりょうしん)とは」
慈悲の意味
慈悲は四無量心から生まれた言葉ですが、「慈」「悲」それぞれの言葉に異なる意味があります。
慈
慈は、他者に楽(幸せ)を与えてあげたいという願いを表す言葉です。サンスクリット語のmaitri(マイトリー:友情・友愛・無償の愛などの意味)に由来していると考えられています。
悲
悲は、他者の悲しみや辛さなどの苦しみを取り除いてあげたいという願いを表す言葉です。サンスクリット語のkaruna(カルナー:思いやりなどの意味)に由来していると考えられています。
慈悲の種類
慈悲について、その心の在り方を取りまとめた書物「往生論註(おうじょうろんちゅう)」では、慈悲は以下の3種類に分類されて説かれています。
- 衆生縁の慈悲(小悲)
- 法縁の慈悲(中悲)
- 無縁の慈悲(大悲)
それぞれの意味についてみていきましょう。
衆生縁の慈悲
衆生縁の慈悲は、小悲とも呼ばれます。衆生(しゅうじょう)に対する慈悲を指し、人と人の間に繋がれた縁に関する慈悲です。友人や家族、知人など、生きるなかで関わる人々に対する慈悲を衆生縁の慈悲と呼びます。
また、衆生には動物も含まれます。この世に生き、意識や感情を持つ者を含めて衆生とするため、ペットに対する慈悲の心も衆生縁の慈悲に含まれるでしょう。
厳密にいえば愛とは異なる感情ですが、現代風に言うと愛情や友情に近い心とも言えます。
法縁の慈悲
法縁の慈悲は、中悲とも呼ばれます。法縁の慈悲は、仏教の教えを知り、諸行無常について考える人の心の在り方を指します。諸行無常(この世は常に移り変わり、永遠に同じ状態ではいられないという教え)を知っても、今の幸福を手放したくない、長く生きたいなど、煩悩を手放すのは簡単ではありません。
仏様の教えを知りつつも、心の在り方を変えられない悲しみや苦しみを慈しむ想いが法縁の慈悲です。仏の教えを知り、その心を理解しようとする全ての人に在る慈悲と言えるでしょう。
無縁の慈悲
無縁の慈悲は、大悲とも呼ばれます。
ここまで、衆生縁の慈悲や法縁の慈悲が人間の心の在り方を表すものだったのに対し、無縁の慈悲は仏様が人間に対して持つ慈悲です。
仏様はすべての人間に対して平等に心を砕いてくださいます。縁もゆかりも関係なく、ただそこに在るだけで仏様からの慈悲を向けてもらえるため、「無縁」と称されているのです。
わかりやすくいうと慈悲とは見返りのない他者の幸せを願う気持ち

仏教では慈悲についてより深く、その心の在り方が説かれています。要は、他人に幸せになってもらいたい、悲しんでほしくない、という気持ちを表す意味だと言えるでしょう。
「慈悲深い人」とは、懐が大きく僅かな縁の人に対しても慈しむ心を持てる人のことを指します。また、「どうかご慈悲を(ください)」とは、「仏様の教えに免じて、哀れな自分を慈しんではくれないか」という意味になるでしょう。
慈悲の意味を知ると、これまで何気なく耳にしていた言葉に含められたさまざまなニュアンスが理解しやすくなります。
ブッダ(釈迦)の説いた慈悲とは

ブッダ(釈迦)は、仏教においてすべての人々が苦しみを捨て去り幸せになることを根本として教えを説きました。これを「抜苦与楽(ばっくよらく)」と言います。
まずは、他者を想う気持ちを持ち、次に自分自身を想う気持ちを持つことを、ブッダは仏教の教えのなかで慈悲の心として説いています。やがて、仏からの慈悲を理解できるようになる頃には、仏教の教えを理解し悟りを開いている頃でしょう。
ブッダは慈悲を通して、他者を思いやる心や感謝する心を教えようとしました。すべての人が慈悲の心を理解し、お互いを思いやれるようになれば、その先にあるものこそが仏教の示す「すべての人の幸せ」であると言えるでしょう。。
キリスト教の愛と慈悲との違いは?

仏教が教えの根本に慈悲の心を置いたように、キリスト教では教えの根本に愛を置いています。
どちらも相手を想う気持ちという部分では同じように見えるかもしれません。しかし、仏教では愛を煩悩のひとつと捉えます。
相手を愛し、尽くした先に何の見返りもなかった時、あなたは何を思うのでしょうか。せめて「ありがとう」の一言でもあれば…と思うことはないでしょうか。慈悲の心は、ただ悲しみを取り除き楽を与えたいと願う心です。
そこに、見返りを求めてしまっては慈悲の心とは言えなくなってしまいます。
キリスト教の正式な解釈では「無償の愛(アガペー)」があります。しかし、仏教において愛は「貪愛」として、自分が愛した分愛されたいと願ってしまうものなのです。
これこそが、慈悲と愛の明確な違いと言えるでしょう。
慈悲の心を持つ人にみられる特徴

周りをよく見ると、慈悲の心を持つ人が見つかるかもしれません。続いては、慈悲の心を持つ人にみられるいくつかの特徴についてみていきましょう。
視野が広い
物事に対して、広い視野を持てる人は、相手を慮ることができる人です。目に見えるものだけではなく、目には見えない事情や背景を考えるからこそ、誰かが困り苦しんでいることに気付けるのではないでしょうか。
差別をしない
仏教の教えでは、人はみな平等です。慈悲の心にとって、差別意識の有無は重要な問題です。大切な人だから助ける、大好きな人だから手を差し伸べるという考えは、実は慈悲の心とは異なるものです。
見返りを求めず、損得を考えず、ただ目の前で苦しむ人を楽にしてあげたいと願える心こそが、慈悲の心と言えます。慈悲の心を持つためには、まずは「〇〇だから」という差別をしないことが大前提として必要です。
あらゆる生き物に対して同じ気持ちを持てる
仏教の教えでは、慈悲の対象は植物以外の全ての生き物です。意識や感情を持つ生き物は、すべて慈悲の対象であると言えます。
可愛らしい子犬や子猫に慈悲の心を向けるのは、比較的容易でしょう。愛らしく庇護欲を擽る存在に対して「優しくしてあげたい」「苦しみを取り除いてあげたい」と多くの人が願います。しかし、それと同じ気持ちを小さな虫にも向けられるでしょうか。
仏教の教えにおいて、悟りを開くのが困難な部分でもあります。人も哺乳類も爬虫類も昆虫も分け隔てなく、あらゆる生き物に対して思いやれる人は、慈悲の心を持っているかもしれません。
人の気持ちを考えられる
現代では、人間同士の間で苦しみが生まれることも多くあります。そんな苦しみを避けるためには、そもそも苦しみを生まないことが大切でしょう。他人の心を想い、自分の行動を変えられる人は、深い慈悲の心を持っていると言えます。
相手に何かを求められた訳ではなく、ただ自分自身の心の在り方によって善い選択をできる人は、情け深く慈しむ心を理解している人です。
損得を考えずに行動できる
多くの場合、人は自分の利益を考えてしまうでしょう。利益がなくとも、自分が損をしてしまう選択を簡単に選べる人は多くありません。
しかし、自分が損をしてしまう状況であっても、相手の苦しみを取り除いてあげたいと願う気持ちこそが慈悲の心です。普段から、自分が損をしてしまっても困っている人のために手を差し伸べられる人は、慈悲の心を持っている可能性があるでしょう。
人に好かれている
慈悲深い人の元には、人が集まります。苦しみを取り除いて欲しいと願う人が集まり、そして楽を与えられたことに感謝し、その人が苦しむ時には自分が助けなければと思うものです。
その結果、慈悲深い人の元には多くの人が集まるのです。慈悲の心によって、縁がより深く結ばれるといってもよいでしょう。
慈悲の心を理解するヒント

ここまで紹介した内容によって、慈悲の心をより理解してきたのではないでしょうか。最後に、より深く慈悲の心を理解するヒントを紹介します。
反対語から理解する
慈悲の反対語(対義語)には以下のものが挙げられます。
- 無慈悲
- 薄情
- 非情
どれも、容赦がなく他人を想いやらず、私欲を優先させる様を表しています。特に「非情」よいう言葉からは、人が本来持っているであろう他人を思いやる気持ちを持たない様が見てとれるでしょう。
相手に対して情けをかけること、苦しみを取り除いてあげようとする気持ちが慈悲の心です。
周囲の慈悲深い人を観察する
実際に、慈悲深い人を観察してみるのもよいでしょう。その人の行いを見習ったり、心の在り方を伺うのも慈悲の心を理解するうえで有効です。
周囲で誰か困っていないか、苦しんでいないか気を配り、目を配り、いざ苦しみに嘆く人を見つければ、手を差し伸べる様を見ると、自然と見習うべき所を見つけられるでしょう。
まずは行動してみる
慈悲の心を理解するには、まずは行動をしてみるのもよいでしょう。最初は承認欲求や差別意識による抵抗感など、さまざまな感情を抱くことでしょう。
しかし、「慈悲深い人になりたい」と願い、それを行動に移し困っている人に手を差し伸べることを続けていれば、いつしか慈悲の心を深く理解できる時が訪れるかもしれません。
仏教の教えは、簡単に理解できるものではありません。人間のもつ多くの煩悩をひとつひとつ手放していきようやく辿りつける極地と言えます。なかには、生涯辿りつくことが難しい人もいるかもしれません。
それでも、仏様の教えを信じ、善い行いを詰むその心を見ていてくれる人は必ず存在します。その人にとって、あなたは「慈悲深い人」と思われるのではないでしょうか。
慈悲について理解しよう
現代では社会が豊かになり過ぎてしまい、他者を思いやる心が欠けてしまったと感じることが多々あるでしょう。他人の優しさや思いやりに触れられないことで、より苦しみが深くなってしまうこともあります。
慈悲の心は、現代にこそ必要とされているのではないでしょうか。ぜひ、今回紹介した内容を参考に、仏教の教えを知り、慈悲の心について理解を深めてみてください。
よくある質問
Q1. 「慈」と「悲」はそれぞれ何を意味しますか?
「慈」は他者に楽(幸せ)を与えたいという願いを指します。「悲」は他者の苦しみを取り除いてあげたいという願いを指します。2つを合わせた「慈悲」は、相手の苦を抜き楽を与えたいと願う心の在り方を表す言葉です。
Q2. 慈悲は四無量心とどう関係していますか?
慈悲は、四無量心の「慈・悲・喜・捨」から「慈」と「悲」を取り出して用いられるようになった言葉です。仏教では他者に向ける心の在り方として四無量心が説かれ、そのうち慈と悲が慈悲の中心になります。
Q3. 「往生論註」で説かれる慈悲の3種類は何が違いますか?
衆生縁の慈悲(小悲)は、家族や友人、知人など縁のある相手に向ける慈悲です。法縁の慈悲(中悲)は、仏教の教えを知りつつ煩悩を手放せない苦しみを慈しむ心です。無縁の慈悲(大悲)は、縁の有無に関係なく仏様がすべての人に向ける慈悲です。
Q4. 「慈悲深い人」とは、具体的にどんな人を指しますか?
見返りや損得を考えず、目の前の苦しみを減らしたいと願える人を指します。特定の相手だけを助けるのではなく、差別をせずに相手を慮れることが前提になります。周囲をよく見て、人の気持ちを考えた行動ができる点も特徴です。
Q5. 仏教の慈悲とキリスト教の愛はどこが違いますか?
仏教では慈悲を「苦を取り除き楽を与えたい」と願う心として捉え、見返りを求める心が混ざると慈悲とは言えなくなります。一方で仏教では愛を煩悩(貪愛)として捉え、愛した分だけ愛されたいという欲が生まれやすいとされています。この点が、慈悲と愛の違いとして説明されています。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
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