深夜の着信、救急搬送、そして目の前に広がる大変な状況。親の介護という終わりのない道の中で、私たちは時に「非情な現実」と「自らの限界」を突きつけられます。息もできないほど変動する毎日の中で、いかにして正気を保ち、前を向くことができるのか。壮絶な介護体験を通じて行き着いたのは、「小さな日常に幸せを見出す」という静かな智恵でした。今、介護の苦悩の渦中にいる人へ贈る、再生の記録です。
変動し続ける毎日と介護の緊急事態
毎日同じ生活はないものの、ここ数カ月は息ができなくなるほど変動し続けている毎日を送っています。そのため、多くの学びを貯金しておりますが、レポートも渋滞している現状です。
お正月を平和に過ごし、仕事も平常通り始まりました。しかしある朝方、目を覚まして携帯を見ると、父からの着信が多数入っていました。留守番電話を聞いてもため息ばかりが聞こえ、もしかすると新しく携帯を買い替えたので間違ってかけたのかと思い、念のため電話をかけてみました。ところが何度電話をかけても応答がなく、心配なので実家へ向かおうとした時に着信がありました。間違ってかけたのではなく、私へのSOSだったと知らされました。
86歳父の尿閉と緊急搬送
前日夕方より尿が出にくくなっていたのを感じていたようですが、翌日は受診の予定があったため様子をみていたようです。ただ夜中に尿閉となり、尿意はあっても排尿できないため苦しく辛いので助けてくれと電話したものの、私が携帯をマナーモードにしていて気付くことができませんでした。あまりにも辛いので父自身が救急車を呼び、かかりつけの病院で処置をしてもらうことができました。
父はその日に受診と抗癌剤治療の予定があったため、このまま病院で休ませてほしいとお願いしたようですが、尿の管のみでは入院はできないという非情な現実を突きつけられました。2時に運ばれ、4時にはタクシーで帰宅。86歳で尿の管を入れられ、簡単な説明だけで帰されていたことに、私はとても驚きました。実家に行くと尿のバッグが血尿でパンパンになっていました。
その日、泌尿器科受診、抗癌剤治療を行い、尿の管の説明をもう一度受け帰宅しました。一人にするのが心配でしたが、母の介護があるので、翌日早い時間に実家に行くことにして帰りました。
血みどろの現場と緊急ショートステイの決断
翌朝実家へ行くと、殺人事件でもあったかのように、部屋中血みどろ、父は椅子に座り疲れ果てていました。尿の管の扱いがやはりできなかったようで、血尿が部屋中に飛び散っていたのです。この壮絶な現場を見て、もう限界だと思い、前日にケアマネと相談しておいた緊急ショートステイに入所することにしました。
そういう施設は初めてだったので父はかなり抵抗していましたが、施設の方々がとても親切で優しく、父の性格も理解して下さり、10日間ゆっくりと静養することができました。抗癌剤の副作用で酷い下痢となったりしましたが、いつもより身体が楽だったと退所時は感謝しておりました。
介護の苦悩の中で見つめる「日常の幸せ」
毎日毎日両親のことで頭が痛いですが、本当に周りの方々に助けてもらい、怒りではなく幸せを感じられています。この介護の苦悩を乗り越える支えとなっているのが、仏教の教えです。
仏陀倶楽部 愛葉代表の「日常のあれこれに幸せを感じられるようになれば、きっと毎日が今よりよくなるはずです。小さな日常に目を向けて過ごしたら、人生はもっと豊かになるはずです」という言葉を何度も読み、今の私はこれだと強く感じています。まだまだ未熟なのでイライラすることはありますが、この壮絶な親の介護を通して、小さな日常を幸せに感じる心を育てていきたいと思います。
















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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