Report by 釋 隆雲
友人との新年会で飛び出したのは、仏教に対する「怖い」「我慢」「迷信」といった根深い偏見でした。中には、仏教を「自分の醜さを暴き、自由を奪う教え」と捉えて敬遠する方も。しかし、仏教の本質の一つは「欲を我慢すること」ではなく、自分の内面を客観的に見つめる「内観」にあります。周囲の反応に振り回される心を整え、本当の意味で「楽」に生きるための智慧を探ります。
得度後の新年会で直面した仏教への偏見
得度させていただいきました。この言葉の力は肩書きとしての意味ももちろんありますが、こちらの度量も試されます。
近所の犬好き仲間5人と新年会で会fう機会に、妻が勝手に「この人、得度したんだよ!」と伝えてしまったので、いろいろ面倒なことになった新年のスタートになりました。
「自分は前厄だけど大丈夫かな? 迷信なのか? 値段の高い厄除けが良いのか?」という質問を受けたと思ったら、戒名の値段自慢へ移り、ついには「般若心経は何?」という話題になりました。
「怖い」「我慢」という誤解の構造
般若のお面にまず話が行き、「同じ字だ!」という連想から、「心霊現象のテレビで霊媒師が悪霊に般若心経を唱えて、それで霊が怖くなって退散するのではないか」など話は尽きません。
そのうち「般若ってなんだ?」と聞かれました。私は「お面の般若は悪い気を追い払うものですが、般若心経の般若は仏の智慧のことです。知恵(ちえ)ではなく真理である智慧(ちえ)の方です」と伝えました。
しかし、みんなはさらに茶化すようなことを言うので、「何でそんなに般若心経や仏教を茶化すの?」と聞いてみると、一人が正直に話してくれました。私と違い、みんな比較的エリートで、中には米国でMBAを取得し外資系の企業でプロスポーツ選手のような年収の方もいるなど、自信のある方が多いように感じましたが、実際には仏教は怖いと言うのです。
「触れてはならない部分に触れないとわからないような雰囲気があって、自分は良いことばかりして生きてきていないので、自分の卑劣さをさらけ出さないといけない教えだと感じる。慈悲深く、ボランティア精神で欲を我慢する教えだと捉えているから、自分に当てはめると自分の醜い部分が露呈してしまう」というようなことでした。
いかに仏教に対して偏見が存在するのかと感じました。自由を奪い、やりたいことを我慢する宗教というイメージと、死んだ後のお世話をいただくための存在だというのです。ものすごく悲しくなりました。しかし、またみんなはどこの神社仏閣が厄除けに強いか?という話題に移ってしまいました。
智慧の本質:「抜苦与楽」をどう伝えるか
また、こう聞かれました。「仏教の智慧を得たらどうなるの?」。迷わず「抜苦与楽(ばっくよらく)」と答えました。さらに「苦しみを除き楽を与えることです」と続けると、びっくりされたようでしたが、今度は「わかった! 修行して我慢したほうが、その反動で喜びが大きくなるからだね?」となりました。
「そういうことか!」と皆が盛り上がってしまいました。別の人は「違うよ、我慢しているうちに欲が無くなるんだよ、欲が減ればそれだけ欲しいものが減るから楽なんだよ」と言います。違うことを伝えるとみんな困ってしまったので、さらに説明を続けました。
欲を「無くす」「我慢する」ではない、内観の重要性
「欲を無くす、我慢するのではなく、欲とは何かを自問してみるところから始めてみてください。世の中で日々いろいろ起きていることを、どのように自分が感じているか、外の世界ではなく、いろいろな出来事に反応している自分自身がどうなっているかをまず見てください。感情や思考、体感に目を向けて観察してください」
「あっ! 禅だね? それともマインドフルネス?」と来たので、「いえいえ、普通に今、自分がどうなっているかを見れば良いのです」と答えました。
「実は外の出来事ばかり見ていて、それに反応する主体である私を全く観察してこなかった方には、この内観こそが革命的な方法だと思います」と話すと、少し落ち着きました。
しかし、いかに仏教をわかりやすく魅力的に、概念と偏見を取り払い説明したら良いのか、難しさを感じる新年となりました。どうやって話したら良いか、待機説法とはいえ、仏教をわかりやすく伝えるのは難しいのですが、仏教を学ぶのは本当に楽しいので張り切って邁進したい新年になりました。ありがとうございます。南無阿弥陀仏 合掌。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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