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人のマナーに腹が立つとき――因果応報と自分の心を見つめる

人のマナーに腹が立つとき――因果応報と自分の心を見つめる

書いた人:レーン由香

犬の散歩や車の運転など、何気ない日常のなかで出会うマナーの悪さに、心が乱されてしまうことがあります。本レポートでは、そうした苛立ちをただ相手の問題として片づけるのではなく、自分の「意業」として見つめ直そうとする率直な問いがつづられます。因果応報をどう受け止め、心の平和をどう保つのでしょうか。

気持ちよく過ごしたいのに

よく眠れたと気持ちよく目覚めて、気分良く犬の散歩に出かけても、拾われていないほかの犬たちのフンを見ると、その飼い主の無責任さにがっかりします。

天気が良い日、運転も気分良くできると思ったら、マナーの悪い運転手に危うくぶつかりそうになり、嫌な思いをさせられたりもします。

毎日、平和に心地よく生活したいのに、外に出るといろいろなことが目に付きます。これは私が気にしすぎなのでしょうか。

心の中で思うことも意業なのか

マナーの悪い人たちに、いつかバチが当たればいい。そうでもしないと、この人たちは自分のしたことに気付かない。そう心で思ってしまいます。

昔、マナーの悪い人に声をかけたら、逆に怒鳴られ、私が悪いことをしたような気分になってしまいました。それから声をかけるのをやめました。

それ以来、口には出さずとも心の中で思うようになり、そう思うことも悪い意業になってしまうのかと考えてしまいます。

因果応報をどう受け止めればよいのか

いつかマナーの悪い運転手に因果応報の報いで事故が起きたとして、もし巻き込まれた人がいたら、それは本当に迷惑な話です。

巻き込まれた人も、その報いを受けるべき人だったのでしょうか。

口や行動に出さずとも、心であれこれ思ってしまう私。私が思わずとも、いつかその人が報いを受けるなら、私はその人の行動に対して何も言わず、反面教師と思って、自分はどうかとただ問い直すだけでいいのでしょうか。

思考を広げて、心の平和を守りたい

先入観で思い違いをしているかもしれないので、決めつけで「あの人のマナーが悪い」と思う前に、「何か理由があるのかも」と思った方が、私も気分が悪くならずに済みそうです。

「意業」がやはり一番難しいです。自分の心の平和のためにも、思考は常に広げておきたいなと思いました。

毎日の生活が修行。これからも続きます。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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