プロジェクトの困難と「絶対安心の境地」との出会い
あるプロジェクトに三人で関わっていたところ、主催者から「次回以降はお金を支払えないので外れてもらっていいですか」と告げられました。私はそのプロジェクトの発案者であり、当初の条件を覆される申し出に強い違和感と怒りを感じました。しかし、このまま感情的に対応してしまいそうだったため、最終的には妻に対応を任せることに。
それでも内心には「うまくいくだろうか」という不安が残りました。そんなとき、ふと「絶対安心の境地」という言葉を思い出したのです。
真の「安心」とは何か?
これまでの私は、「安心なんて、変化を避ける人の言い訳」くらいにしか思っていませんでした。しかし今回、内なる自分との対話を進め、心の動きをつぶさに観察していて気づいたのは、真の安心とは「変化があっても揺らがない心の土台」のようなものである、ということです。
何か起こったときにその場でどう感じるか、どう対応するかではなく、常に「絶対安心」が心の中にあって、その土台の上に喜怒哀楽がある。だからこそ、その土台さえ揺らがなければ一喜一憂することもなく、感情の波に左右されない自分をつくることができるのです。
親鸞聖人が説く「他力本願」と「絶対の安心」
まさに親鸞聖人が説く「他力本願」の考え方です。これは、すべてを自分の力でコントロールしようとする心を手放し、如来のはたらきに身をまかせることで得られるのが「絶対の安心」である、と教えています。
今回のように、自分の思う通りにならない状況でも、起きたことをあるがままに受けとめ、誰かに託すこともまた一つの信頼の形です。「任せた以上は、結果に執着せずに見守る」—こうした他力の心で、今後も揺らがず歩んでいきたいと強く思いました。仏教の教えは、私たちに心の平安をもたらし、不安からの解放へと導いてくれます。






















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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