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五十路を襲った「胸の痛み」の正体 — ヴィパッサナー瞑想で競争心と自己否定を観察する

根深い「親の呪縛」と自己否定が生む胸の苦しみ

これまでの人生で数度、胸の痛みに苦しむ時期がありました。幼少の頃より両親には否定されながら生かされてきました。もちろん親の意見が正しいことも多かったでしょうし、手前が基本的に間違っている部分もあったのでしょう。五十路の今になって親の呪縛のような話をすると痛々しいと思われる方がほとんどでしょうが、自分の事だけを考えて来た人生ゆえに、案外この呪縛は根深いと感じます。

競争への逃避と「軽蔑される感覚」

話がそれましたが、そんな否定的な言葉のせいで、私は何をやってもダメな人間であると思うようになっていましたが、あるきっかけで世間の平均より貯金額が多くなったり、芸術面でも多くの賞をいただいたり、他者との比較で自分自身の能力は決して低くないと思うに至り、むしろ私の両親などは特に何かの才がある訳でもなく、単に時代がよかっただけだと思ったのです。

そこから我武者羅に他者との競争に熱中していくのですが、手前はいつまでも孤立しておりました。決して収入も、貯えも能力も低くはないのに、手前より明らかに「能力」が低いと判断できる相手から軽蔑されるような感覚に、手前は何か間違っていると思い、仕事も趣味も酒もタバコもいろいろやめてみたのですが、この軽蔑されている感覚はいつまでたってもなくなりません。

時間が経つと減る貯えに焦り、胸が苦しくなり、対処療法として働き始めたら、胸の痛みはなくなりました。これは仕事に逃げることで苦しさから目を背けることができたからでしょう。

仏教の教え:ヴィパッサナー瞑想による苦悩の観察

そこからさらに時間がたち再び無職になり、やはり気が狂いそうなほどの胸の痛みと焦り、ざわつきの日々を過ごしておりますが、今度は安易に仕事や趣味など競うことに逃げず、ありのまま、今のままで生きる練習として痛みに耐えていた時、ふとヴィパッサナー瞑想のあるコツを思い出したのです。

それは単純に、痛みを観察するということです。そんな、部屋を清めるとか香を焚く必要もなく、歩きながらでも構いません。その胸の痛みを感じていると、観察を始めた瞬間、胸の痛みは消えました。それと同時に、他者と争う気持ちもやわらぎました。

それはどんな理由であれ、手前が生み出したものだと実感したのと同時に、その理由を言語化する必要もないという事実を知った瞬間でした。結局のところ、手前のような者にはその理由を言語化することはできませんし、納得できることもないのでしょう。しかし事実は痛みを取り除いた。

自身を傷つける自身との対峙はまだまだ続きそうです。

南無阿弥陀仏

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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