誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

共に成長する

共に成長する

 現在小学3年生の息子がいます。

 これまで幼稚園でも学校でも楽しく過ごしていた息子がある日、学校に行きたくないと言い出しました。話を聞くと、これまで仲が良かったお友達とあまり気が合わなくなってきて、仲間に入れてもらえない事がある。自分もその子たちと遊びたいわけではないけれど、そうしないとクラスで一人ぼっちになってしまう。

 一人は嫌だけど、その子達と遊ぶのも苦しい、という悩みでした。

 ちょうどこのぐらいの年頃はギャングエイジと呼ばれ、仲間意識が高まってグループを作る一方で、その強すぎる結束力から、意見の合わない人を認めない傾向が見られたりする時期だそうです。

 話を聞いて私は大変動揺しました。息子には気取られないように装いましたが、愛する息子が悲しい思いをしているというのは、もう無条件に私の心をかき乱しました。本当は息子と一緒にわんわん泣きたいぐらい、息子が可哀想で悲しかった。

 ですが、これがエスカレートして「いじめ」などという事になれば話は別ですが、話を聞く限りは成長の過程で起きるある種、仕方のないことと感じたので、私はじっと息子の話を聞いて彼が気持ちを出し切るまで待ち、少し落ち着いたところで、その状況に対するいくつかの視点と選択肢を提案しました。この対応が正解だったかどうかは全くわかりませんが、幸い息子は元気を取り戻し、色々感じる日もあるようですが、それなりに楽しく学校には通い続けています。

 私は本当は感情的な側面だけで言えば、息子には何一つ嫌な事のない人生を歩んで欲しいと思うぐらい、彼を溺愛しています。実際、子供が産まれてからずっと、おむつを替え、空腹を満たし、要求に応え、危険から遠ざけ、楽しい経験を・・・ほとんどの親が子の不快を取り除くために奔走し続けてきたわけで、子の笑顔を望むのはもう本能的なものなんじゃないかと思っています。

 ですが今回の一件で、息子が歩む道から小石を取り除くのではなく、足をぶつけても、つまづいても、じっと見守る事も必要とされる、子育ての次の段階に入ったのだなと思いました。苦しいことや悲しい事は確かに嫌だけれど、それを嫌って、ただ避けて遠ざけるだけでは、真に幸福な人間にはなれない。息子には「痛みを迎え入れる力」を持って欲しいと思っています。

 そしてそれは私自身にも問われている事だなと思いました。自分の事であれば経験値もあり、好ましくない事を迎え入れる力はついてきたと思っていましたが今回、息子の一件によってこんなにも激しく心が掻き乱されたのは発見でした。

 「子育ては親育て」と聞いた事がありますが、まさに・・・と思った出来事でした。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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