仏陀倶楽部のお世話になる前に、少し歎異抄を聞いたことはありましたが、今一つわからない感じではありました。
その後自分なりに仏教書、法話系の動画などで勉強をしてきた気がしておりましたが、迷いは増すばかりで、今思えば、私が納得出来る理論体系を探していたのだと思いますが、それは単に学問的な好奇心だったのかもしれません。
しかし、改めて現代語訳の歎異抄を聞かせていただくと、何とも言い難い気持ちになりました。あらゆる体系や真理を学ぶことよりも、信じて念仏をすることの大切さしか解かれていませんでした。人は死にます。
人だけではなくあらゆる生物の多くは、寿命を持ち逃れられない死の段階があるわけですが、死を疑う人はあまりいません。死は、当たり前の事実として受け入れられていますが、死後に関しては様々な意見があり、死後の為に人を殺す人々がいるくらい、難しい問題として複雑化しております。
しかし、仏の世界がいくつもあるのであれば、そのような方々も至るべき仏の浄土があり、アーメンも、実は南無阿弥陀仏と同じなのかもしれません。そのようなことを言えば、激怒激昂される方々は双方にいるかもしれませんが、もしかしたら初めのキリスト教も、アーメンと言えば天国へ行くことができると、伝えたのかもしれないと妄想してしまいます。
それと同時に、歎異抄に書かれている、信じて念仏することの信じるは実に難しいと思います。油断すると、すぐに疑いたくなります。折角のご縁で、本願他力の念仏の教えを言わば答えをいただいているのに、途中式を知りたがるこれも、煩悩であり信じきれていない状態です。かといって、1日千回念仏を唱えて見せようと、行を行うのも自力の仕業で、体の奥底から染み出すように、一度でも念仏を口にすることができれば良いと、今は考えております。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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