お坊さんになろう/厳しい修行はゼロでオッケー
「なぜなら人は誰でも、日々生きるだけで修行をしているからです。」
この言葉は、私が昔から抱いていた想いと一緒でした。自分自身が人生は修行と考え、今まで生きてきました。
仕事をしていれば我慢(忍辱)の連続です。人は自分中心に物事を考えますから、いくら真っ当な考えでぶつかっても、なかなか受け入れてはくれません。
そんな時、どう接すれば受け入れてもらえるのか?考え行動します。何かに似てるよなって思い起こせば、お釈迦様の待機説法ではないでしょうか?
このように、普段の生活が日々の修行となっていました。
どんなに困難な修行を納めようと、人は一人では生きていません。他人と自分の関わりの中から、喜怒哀楽などが生じます。日常の生活の場は、修行であり道場であると思います。
そして仏教の学びは、大変人生に役立ちます。そして、決して自分に都合よくはありません。
この教えを現代の事情に合わせて、他人に伝えていきたいと思います。そのために、得度させていただきたく存じます。
最近の人は勉強はできるのでしょうが、人としての教育がなされていないと思うからです。まずは、身近なコンサル先の社員さんたちから接していき、会社全体が良くなればいいなぁと考えています。