誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

得度は目指すべきゴールなのか? 学びの目的を見つめ直して感じたこと

得度は目指すべきゴールなのか? 学びの目的を見つめ直して感じたこと

書いた人:伊藤勇気

得度を目前にして湧いた喜びと同時に、「学びの目的がいつの間にか得度になっていないか」という問い。本レポートでは、承認欲求の揺らぎや手段への没入を見つめ直し、得度を「ゴール」ではなく「出発点」と捉え直します。何のために学ぶのか、心の拠りどころを探す内省の記録です。

得度を目の前に感じたこと

ご縁があって仏陀倶楽部を知り、「誰でも得度ができる!」という愛葉代表の言葉に触れ、浄土真宗の教義や親鸞聖人の教えをもっと学びたいと思い、得度しようと決意しました。

先日、得度考査について案内の連絡が入り、「ようやく自分もそこまで来たのか」とうれしく感じました。
しかし同時に、ある問いが心に浮かびました。

それは、自らの学びの目的が、いつの間にか「得度」そのものになっているのではないか、ということです。

本来、得度するために学んでいたわけではなかったはずです。
仏教や親鸞聖人の教えを知りたい、もっと深く学びたい、その思いから始まったはずでした。
それなのに、気づけば「得度を目指すこと」が自分の中で目的になっていたように思えたのです。

得度考査の案内を受けて喜んだのも、事実です。
その喜びの背景には、自尊心が満たされた感覚もあったのだと思います。たしかにそれは、自分にとって幸せな感情でした。

ただ、その感情はとても不安定なものでもあります。
人から認められることや、自分で自分を評価することのうえに成り立つ喜びは、状況によって簡単に揺らいでしまうからです。

得度は卒業式ではなく入学式

そもそも得度は、卒業式のような到達点ではなく、むしろ入学式のような出発点なのだと思います。

本当に目指すべきものは、心の安寧なのではないでしょうか。
そして、そのための拠りどころのひとつが念仏であり、その真髄に触れるための手がかりとして『阿弥陀経』や『正信偈』、さまざまな経典や先人の教えがあるのだと思います。

それらを読み解くことは、苦しみを抱えながら生きる私たちにとって、生き抜くための新たなヒントを得ることでもあると感じています。

それでも私は、さまざまな書籍を読み、経典の意味を自分なりに紐解き、すきま時間にも「得度を目指して」日々いろいろなことをしてきました。
そのなかで、自分でも少し良い気になっていたのかもしれません。

もちろん、目的に向かって夢中になること自体は大切です。
しかし、手段に夢中になるあまり、本来の目的を見失ってはいけないのだと思います。

得度は目的ではなく、出発点。
そう考えると、今の自分に必要なのは、焦って前に進むことではなく、一度立ち止まって自分に問いかけることなのかもしれません。

自分が本当に学びたいことは何なのか。
何のために仏教を学びたいのか。
そして、自分が本当に求めているものは何なのか。

今一度落ち着いて、その問いと向き合うことも大切なのだと思いました。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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