誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

人はなぜ、自分を好きになれないのか――『レオン』を観て気づいたこと

人はなぜ、自分を好きになれないのか――『レオン』を観て気づいたこと

書いた人:釋 明淳

映画『レオン』をきっかけに、「人はなぜ自分を好きになれないのか」という問いを、自身の仕事観と仏教の言葉を通して見つめ直したレポートです。自分を評価し続けることの苦しさと、他者に意識が向いたときに起こる変化が、語られます。自身の美容師という仕事の意味にも話が及び、読みながら自分の日常にも重ねたくなる内容です。

『レオン』を観て残った違和感

映画『レオン』を観て、ひとつの違和感が残りました。これは本当に、「殺し屋と少女の物語」なのか。観終わったあと、残ったのはストーリーではなく、ある感覚でした――レオンは、マチルダを愛することで、やっと自分を愛せるようになったのではないか。この気づきから、すべてがつながりました。

多くの人はこう言います。

「もっと自信を持ちたい」
「自分を好きになりたい」

しかし、ここにひとつの落とし穴があります。それは、自分を見ている限り、自分を好きにはなれないという構造です。人は自分を見るとき、必ず評価してしまいます。

・うまくできているか
・他人より優れているか
・失敗していないか

つまり、自分は常に“採点対象”になります。この状態では、安心は生まれません。仏教では、この状態を我執(がしゅう)と呼びます。自分への執着です。

・自分の評価
・自分の損得
・自分の不安

これらに囚われている限り、人は苦しみ続けます。

レオンに起きた変化

レオンは最初、孤独で無機質な人間でした。感情を持たず、ただ仕事をこなす日々。そこに現れたのが、マチルダでした。彼女を守るという役割が生まれたとき、レオンの中で何かが変わります。何が変わったのか。それはシンプルです。

「自分」から「他者」へ、意識が移った。自分がどうかではなく、相手がどうなるかを考える。

この瞬間、人は変わるのだと思います。なぜ他者愛で自分が救われるのか。ここが本質です。人は「自分が何をしているか」で、自分を認識します。

レオンは、

・守っている
・与えている
・命をかけている

という行動を取りました。

すると脳は、「自分は価値のある人間だ」と判断する。重要なのは、“そう思おうとしたわけではない”ということです。行動が、認識を書き換えたのです。

仏教的に言えば、この状態は無我(むが)と呼ばれます。自分を忘れた状態です。そして仏教は、自分を消すと苦しみも消える、と説きます。

美容師として見えてきたこと

多くの人は逆のことをしています。

・自分を好きになろうとする
・自信をつけようとする

しかしこれは、自分を見続ける行為であり、苦しみを強化しているようにも思えます。解決はシンプルで、でも難しい。他者を見ることです。

・この人は何に悩んでいるのか
・どうすれば良くなるのか
・自分に何ができるのか

それを考え、行動する。自分はこれまで、自分の技術や評価ばかりを見ていました。

・上手くできたか
・どう思われたか

しかし、それでは本質には届きません。美容師の仕事は、髪を切ることではない。人の人生を整えることだ。

自信を持たせる。
印象を変える。
行動を変える。

そこまで踏み込んで初めて、価値になるのだと思います。自分を救おうとするな。人を救え。そうすれば結果として、自分が救われる。

もし今、

・自信がない
・満たされない
・何かが足りない

そう感じているなら、やるべきことはひとつです。誰か一人を、徹底的に良くすること。そこに、すべての答えがあるのだと思います。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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