僕が僧侶になろうと決めた、ひとつに、「救えなかった」という想いがあります。
それは、かつて親しくしていた幼馴染の死。
あのとき、もっと何かできたのではないかと、いまでも胸の奥に、やるせない思いが残っています。
人は、生きている限り、誰かを助けたい、支えたいと願うものかもしれない。
けれど時に、その願いは届かず、「救えなかった自分」だけが、そこに残される。
そんな後悔は、深く、心の底に沈み続ける。
でも、あの悲しみがあったから、僕は「僧侶になろう」と思いました。
もし、誰かの苦しみに、ほんの少しでも寄り添えるのなら。
それはきっと、あの幼馴染が遺してくれた「いのちの力」なんだと思えるのです。
誰かを想い、苦しみ、泣いたことがあるからこそ、人に寄り添うことができる。
そして、救えなかった命への祈りと、今を生きる人への慈悲を、声に乗せて届けられたら。
友へ
「君は、僕が助けたかった命の、ひとつだった。」
「そして、君の死が、いま、誰かの命を救う力になっている。」
そう伝えたくて。
















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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