傾聴ボランティアと斎場勤務:生と死に触れる日々
昨日、石川県の志賀町へ、私にとって13回目の能登支援に行ってきました。今回も「傾聴移動カフェ」として、地域のみなさんのお話をゆっくり聴かせていただきました。
形の上ではボランティアですが、いつも感じるのは「施す者こそ学ばされる」という真理です。被災された方々が語られる体験にふれることで、私自身の過去の傷や、フタをしてきた想いにも光があたり、苦しみや悲しみもまた人生の仏教的学びだったと改めて気づかされます。
嫌な記憶もまた無常を感じながら、少しずつ受け入れられるようになりました。そう考えると、物理的にはボランティア活動ですが、実際はボランティアではなく、ある意味これもエネルギー交換だと感じます。
「同行二人」の精神と「行」としての喜び
今回、5人での活動で、女性は私だけでしたが、回を重ねるごとに「同行二人」の思いで、同じ気持ちや価値観を持つ仲間とつながれることに幸せを感じます。
身体は疲れても、心はむしろすっきりして、「行」としての喜びをいただけたように思います。この経験を通じて、私たちは互いに助け合い、高め合う存在であることを実感します。
斎場での経験が教える「人生の儚さ」
私は5月より斎場で週数回パート勤務をしています。今日もパートの日、数時間前に亡くなられたばかりの方が運ばれてきました。
この方はどのような一生を過ごされたのだろう。幸せな人生だったら良いなと、人生の儚さ(はかなさ)を感じながら、いろいろなことを考えてしまい、頭の中がぐるぐるしていました。生と死に間近で触れることは、毎日を丁寧に生きるという日常の気づきを与えてくれます。
私は、こうしたたくさんの経験と学びをいただけることに日々感謝しています。これからも、毎日をただ過ごすのではなく、1日1日を丁寧に大切に、自分らしく生きていきたいと、改めて感じました。






















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明のコラムはこちら