真宗新書、「現在を生きる」読了しました。
今回は、そこに書かれていた縁起についての教え「四法印」、いわゆる、・諸行無常・諸法無我・一切皆苦・諸法無我の四つの目印のうちの一つ、「諸行無常」と、自分の幸福について考えました。
まず、諸行無常とは「あらゆる現象には常なるものは無い」との意味だそうです。僕は、「幸せになりたい」と思い、仏教、仏道の世界に興味を持ったわけですが、この「諸行無常」という項目に照らし合わせると、仏教で言うところの幸福もまた、無常(常なるものは無い)なんだなと改めて思い知らされました。
僕は小さい頃から、たくさんの幸福を経験してきていると思います。お菓子を買ってもらえたという小さなことから、大学受験に受かった、運転免許を取れたからドライブが楽しい….などなど、思い返せば、たくさんの「幸福と呼ばれるもの」は、確かに感じていました。
一方で、その幸福は今も実在しているかというと、そうではないようです。記憶はありますが、思い返すたび、ハッピーな気持ちは100%蘇りません。そうした現象は既に終わっていて、常ではありません。むしろ今では、運転中、割り込み、危険運転、煽り運転、さまざまなリスクを不安に感じていたり、大学に受かった喜びは消え失せ、大学で専攻したこととは全く関係ない道を歩んでいます。
「幸せだ!」といくら思ったところで、事態は刻々と変化しており、人は常に幸福でいられないようにで出来ているようです。こういう気づきがあると、「それでは幸せではいられないのか」というブルーな気持ちになりそうですが、この諸行無常という教え、道理、性質は、非常にありがたいなとも思いました。
幸せな状態が続ている人って、一見素晴らしく見えますが、「はぁ~幸せだ」なんて生活を送っていると、生活に潜むリスクに気づけない可能性だってあります。逆に、「なんて最悪なんだ…」と思っていても、事態は常に変化しています。むしろ「最悪だ」という動機は、事態を改善しよう、もしくは逃げようという次の縁を与えてくれるはずです。
いづれにしても、固定的でない、変化変化変化の様子。同著を読むまで、私は「諸行無常」を、なんだか、虚しいこと、悲しいことととらえていましたが、それは、そういうことではなく、ポジティブな側面もあるんだなと思いました。そして、「常なるものはない」ということを「知っている」だけでも、何か「固定的なもの」への執着は薄らぐのかなぁと思います。
私たちは、僕を含めて、日常の生活、仕事、パートナー、人生、色んなものが固定的で継続的で、明日も確実にあると思っている傾向がかなり強いと思います。こうした機能は、確かに人間社会を営む上で必要だと思いますが、ただこれを確信しすぎていると、急激な変化が確かにストレスになる節はあると思います。
諸行無常、これを前提に日常の物事にあたっていきたいと思います。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
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