私は65歳の男性で、浄土真宗の仏教徒です。昨日、初めて投網漁に挑戦し、網を投げる度に少年のような無我夢中さが蘇りました。予想を超えて舌平目を四匹捕獲した瞬間、思わず歓喜の声を上げ、心は喜びに満ちあふれていました。
しかし、その喜びが冷め落ち着いたとき、もし自分がその魚だったら──そう想像した瞬間、深い罪悪感が胸を締め付けました。自らの手で他者(魚)の生命を絶ち、その身を食するために持ち帰る行為は、間違いなく「殺生」であり、悪業であると気づかされたのです。
そのとき、親鸞聖人が「死後、せめて河川に遺体を流し、他の生命の糧となることを願うべし」と仰せになった言葉が脳裏をよぎりました。私たち人間は他の生命をいただいて生を営まずにはいられず、その重みと責任を背負っています。
一方で、人間に生まれた縁の尊さに心から感謝します。無数の生命の犠牲のうえに、私の命があることを深く噛みしめるとともに、これからは日々の生活の中で、仏法に基づく善行を積むことを固く誓います。すなわち、困窮する人々への布施、家族や友人との和合、そして自らの心の乱れを正す勤行・念仏を怠らず、悪業を遥かに上回る善行を行っていきたいと存じます。
この体験は、生命の尊さを改めて見つめ直す契機となりました。命をいただくことの重さと、仏さまの慈悲に包まれて生かされている喜びを、これからも忘れずに歩んで参ります。合掌

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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