誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

認知症の母の介護で直面した「精神の限界」と仏教の教えによる視点の転換

医療者としての知識と、介護者としての受容のギャップ

父の入院により、しばらく認知症の母を看ることになりました。1日24時間一緒にいることがなかったので、認知症状が進んでいることの受容すべきだと理解していてもできない自分がいました。医療者である自分は、母の認知症が診断された時点である程度の進行具合は予測していたのですが、目の当たりにすると医療者であっても受容できないものだと学ばせていただきました。

環境が変わって更に症状が進まないよう、可能な限り母の居心地のいい環境を作ることにしばらく仕事や自分のライフスタイルを変更しました。環境が変わることで大きな症状の変化はない状態です。

介護の「精神的限界」と母のせん妄・徘徊

毎日毎日同じ話、父の悪口、幼い頃に受けた酷い仕打ちを繰り返す母。今は目の前で(眠剤を服用しせん妄になっているのか)、紙と鉛筆を出せと言って自分の家なのか私の家なのか家具の配置図を書き出し、どちらの家にいるのか分からなくなって思考がおかしくなり興奮状態となりました。

しばらく話を聞き、落ち着いたと思っていたらまた覚醒し徘徊が始まりました。今日は父と面会したためか、いつもより行動が激しいです。寝てくれるまで静かに見守っていきます。私の限界まではと思っていますが、そんな綺麗ごとでは介護は続かないと確信しました。わけのわからないことをする母に苛立ちを感じる自分と、寝顔を見て涙する自分と、精神が崩壊しそうになっております。

恩返しとしての介護

今晩も必ずせん妄、徘徊で寝かせてはくれないと思いますが、私も乳児期は母を寝かさなかったと思いますので、恩返しという表現で許されるのであれば、そうしたいと思います。

仏教の教えがもたらした「視点の転換」

このような厳しい状況の中で、仏陀倶楽部 愛葉代表の「苦しみと悲しみを通して、喜びと感謝にかえさせていただく」というお言葉が、視点を変えるきっかけとなりました。この教えは、苦しみが成長の糧になるという視点を学ばせていただく機会となったことに感謝しております。

認知症の親の介護は、介護者にとって大きな精神的負担となりますが、苦悩を通じて自己を見つめ、仏教の教えによって「受容」の境地に至ることが、この修行の目的であると改めて感じています。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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