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因果応報の意味をわかりやすく解説!自業自得やカルマとの違いも紹介

有名な四字熟語のひとつ「因果応報」の意味をご存じでしょうか。何となく知っているという人や漢字のニュアンスから推測できるという人も少なくないでしょう。

しかし、因果応報は誤った使い方をされることも多い四字熟語です。

この記事では、因果応報の意味をわかりやすく解説します。合わせて、因果応報の使い方や似たニュアンスで使われる「自業自得」「カルマ」との違いについても紹介します。

  • 因果応報の意味を知りたい
  • 因果応報の使い方を知りたい
  • 良い未来を得るためのヒントが欲しい

上記に当てはまる人におすすめの内容を紹介しているので、参考にしてみてください。

因果応報とはなんのこと?

「因果応報(いんがおうほう)」とは仏教用語のひとつです。

何となく意味を知っているという人もいるでしょうが、その意味は本当に合っているのでしょうか?

最初に、因果応報の言葉の意味について詳しく紹介します。

因果応報の意味

因果応報とは、仏教用語で「前世の行為の結果が、今現在の幸不幸に繋がる。今現在の行為の結果が、来世の幸不幸に繋がる」という意味を持ちます。

つまり、自分の過去の行いによって現在の結果があるという意味です。

現在の結果は、悪い事ばかりを指す訳ではありません。良い事も含まれます。

良い結果があるのであれば、それは過去の自分の良い行いの結果であり、悪い結果があるのであれば、それも過去の自分の悪い行いの結果であるという意味です。

例えば、つまずいて転んでしまった事には「昨夜夜更かしをしていたから、意識がぼんやりして段差につまずいた」という原因があるかもしれません。世の中で起こることの全てには、必ず原因があります。

因果応報は、その原因となる行いと結果的に起こった出来事を指しているのです。

因果応報の使い方

因果応報は以下のように使う言葉です。

「合格おめでとう。受験勉強を頑張った君の因果応報だよ」

「あなたが困った時に手を差し伸べてくれる人がいるのは、因果応報の理によるものだと思うよ」

良い意味で因果応報を使うときは「努力した結果だよ」「君の過去の行いが報われているんだよ」といったニュアンスが強いです。

ただし、目上の人に対して因果応報を使うと、どことなく上から目線に受け取れられ、失礼に当たるケースが多いので注意しましょう。

因果応報から学ぶ生き方

因果応報の正しい意味を知ると、幸せに生きるために必要なことが見えてきます。

それは、幸せになりたいのなら幸せになれる行動をしなければならないということです。

例えば、悪事を働いて大金を稼ぎ豊かな生活を手に入れたとします。

しかし、いつか悪事は露呈し罰を受けることになるでしょう。

これでは当初求めていた幸せは得られません。

しかし、豊かな生活を得るために地道に努力し、働き、周囲の人を支えて過ごしていくと、そこで得た幸せは何にも奪われることはないでしょう。

自分の求める結果には必ずその結果に繋がる原因があります。

望む結果の原因となる行動を心がけ、豊かな未来を得ることを説いているとも言えます。

因果応報と似ている言葉

因果応報と似ている言葉にはさまざまなものがあります。

続いては、似ている言葉の意味や因果応報との違いについて解説します。

自業自得との違い

自業自得(じごうじとく)とは、因果応報と同じく「自分の行いによる結果を自分が受ける」という意味の言葉です。

因果応報と意味は同じですが、自業自得は悪い事に限定して使われる言葉という違いがあります。

仏教用語における「業(ごう)」から生まれた言葉であり、業は仏教において行動による結果を指し、現在の行動が未来に影響する法則を表しています。

(例文)

「彼が風邪をひいたのは、昨日水遊びをしていた自業自得だ」

「友達と仲たがいしてしまったのは、あなたの普段からの態度による自業自得だと思うよ」

カルマとの違い

カルマは仏教において、目には見えない運命を動かす力と考えられています。

自業自得で紹介した「業」はカルマを形成する力と考えられます。

つまり、運命を変える力をカルマと表し、カルマは自分の行いによって変わると考えてよいでしょう。

運命を変える力は、その人が亡くなっても輪廻の中に残り続けると考えられています。これは、仏教における前世や来世などの考え方に当たります。

前世の良い行いが現世で結果となったり、現世の悪い行いが来世の結果となったりする、これらの一連の運命を決める力がカルマです。

因果応報は「結果」を表すのに対し、カルマは行動から結果を導く際に働く「力」を表すのが大きな違いと言えます。

(例文)

「私達の世界は、カルマによって巡ってゆきます」

「良いカルマを働かせて、来世での幸福を掴みましょう」

善因善果・悪因悪果

善因善果(ぜんいんぜんか)とは、善い行いは善い結果を生み出すこと、悪因悪果(あくいんあっか)とは、悪い行いは悪い結果を生み出すことを指します。

因果応報と違って、善い事と悪い事で使い分けられます。

(例文)

「あなたが成功したのはまさに、善因善果だね」

「人に親切にしないから悪因悪果に終わるんだよ」

因果応報を受けない人ってどういう意味?

世の中には、因果応報を受けない人がると思いませんか?

悪い事をしているのに日々を幸せに暮らしていたり、良い事をしているのに不幸な暮らしをしていたりする人です。

これは短期的な目線でしか見えていません。

仏教では因果応報は必ずいつか訪れるものだと考えられています。

もしかすると、現世の業は前世の行いによるものかもしれないし、現世の行動による業は来世で受けるのかもしれません。

業はカルマとなって輪廻のなかで残り続けるため、悪い人が永久に繁栄し続けることもなければ、良い人が永久に不遇であり続けることもありません。しかし、前世や来世のことは分からないため、カルマの結果を確認できないケースがあるのも現実です。

確認できなくても、ひとつの魂が起こした因果応報は巡り巡って自分の元に返ってくるでしょう。

あなたが「この人は因果応報の報いを受けていない」と思っていても、その人の未来や来世で何等かの因果は巡ってくると考えられます。

因果応報による理を信じることこそ、仏教の教えに従うということでもあります。

因果応報は忘れた頃に返ることもある

悪い行いをしていても良い結果があったり、良い行いをしていても悪い結果があったりする事もあります。

これは、仏教では異なる因果応報の結果であると考えられます。

悪い行いをした後に起こった良い結果は、悪い行いに起因したものではないという考え方です。

それは忘れてしまった位に過去の行いかもしれませんし、もしかすると前世の行いによるものかもしれません。

これまでずっとバレずに詐欺を働いていた人が100回目に偶然発覚して逮捕されてしまったり、何年も浪人して受験勉強を続け5年目で合格したりする人もいます。

忘れてしまっていても長い時間が経っていても、良い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果が返ってくるものです。これ理解して日々を過ごすことが大切です。

因果応報を良い意味にする3つの行動

因果応報の教えを信じるなら、良い行動で良い結果を得たいものですね。最後に、因果応報を良い意味にするための3つの行動を紹介します。

1.努力する

努力を積み重ねる行動は、いつか良い結果をもたらしてくれるでしょう。

もしかすると、その結果はあなたが求めたものではないかもしれません。しかし、努力した行動によって、未来のあなたが救われることには変わりありません。

受験勉強を頑張っても、もしかすると志望校には受からないかもしれません。それでも、勉強して得たもの知識や忍耐力を養った期間があり、将来その知識や精神が役に立つ事があるでしょう。

スポーツに打ち込み、上達するために一生懸命練習をしても、勝利を得られないかもしれません。それでも、鍛えられた身体のおかげで健康に日々を過ごせるでしょう。

努力して望んだ結果を得られるのが最も良いですが、望まない結果であっても何らかの良い結果は得られます。日々、努力を怠らないことで良い因果応報を招くことができます。

2.親切にする

他人に親切にする行動は、良い因果応報を招きやすいです。

他人に親切にすることで、自分が困った時に救いの手を差し伸べてもらえるかもしれません。

他人に親切にした行動がどのような形で自分に返ってくるのかは分かりません。見返りを期待せず、無理なく自分にできる範囲で手を差し伸べるのがよいでしょう。

前世の善行によって、現在の自分が救われるかもしれませんし、現在の善行によって来世の自分が救われるかもしれません。因果応報は必ず訪れると信じ、日ごろから他人に親切に過ごしてみてください。

3.分け与える

仏教では分け与えることは非常に重要な善行のひとつと考えられています。

分け与えると聞くと、お金や物など形あるものを分け与えることをイメージするかもしれません。しかし、仏教ではその他に、知恵や教えを伝えることや恐れや不安を取り除くことも「分け与える」という意味付けがされています。

分け与えることで、自分のなかにある欲を手放すことができると信じられ、他人との深い繋がりを得られると信じられているのです。

人から与えられたお金や物、知識、教え、取り除いてもらった不安、恐れなど、分け与えてもらったものを、今度は他人に分け与えることも重要です。

他人との繋がりを持ち、分け与え、支え合うことで、より豊かな輪のなかで生きられると考えられています。

良い事も悪い事も因果応報

今回は因果応報について解説してきました。

因果応報は、行動によって起こる結果を表しており、悪い意味だけを持っている訳ではありません。悪い行いをすると悪い結果が、良い行いをすると良い結果を得られるという意味であることを理解しておきましょう。

因果応報を良い意味にするには、自分の日頃の行動を顧みる必要があります。良い結果を得られる行動ができるよう、努力する気持ちや分け与える気持ちをもって過ごすことが必要です。

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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