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親鸞聖人とは?浄土真宗や仏教に関する基本知識をまとめてご紹介

この文章では、浄土真宗の特徴や開祖の親鸞聖人の人生を中心にご紹介。仏教に関するQ&Aや聞いたことはあるが意外と知らない仏教用語などの基礎知識も、あわせてご紹介します。

浄土真宗の開祖・親鸞聖人とは?

まずは、浄土真宗のはじまりである親鸞聖人についてご紹介していきましょう。

親鸞聖人は、承安3年(1173)、京都市伏見で公家の長男として生まれました。

8歳の時に母を亡くし、9歳の時には父が出家したため、世の無常を感じ、同じ年に比叡山に修業に入ります。そのころ詠んだ『明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』という歌は、『何事も明日を当てにせず、今日できることは今日のうちにしよう』という意味の歌です。

比叡山で20年修行しても悟りが開けなかったころ、救世観音のお告げに従い、京都の六角堂で100日間参籠していたところ、創建者である聖徳太子(救世観音の化身)に夢でお告げを受け、『浄土宗』の開祖・法然上人に弟子入りします。

南無阿弥陀仏』という念仏を唱えることで極楽浄土への往生を願う『浄土宗』は、浄土に生まれ変わるには自身の修行が必要と考える当時の仏教界では異端とみなされ、法然上人は讃岐の国へ、親鸞聖人は越後の国(現在の新潟県)に送られることになりました。越後の国で、親鸞聖人は恵信尼と結婚したとされています。

流罪が赦免された後も越後の国に残っていた親鸞聖人ですが、法然上人の訃報を聞き、常陸の国へ移り、元仁元年(1224)、代表作『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)の草案ができました。この年が浄土真宗の立教改宗の年です。『教行信証』の『行巻』の末尾には、浄土真宗で勤行(ごんぎょう)などの際に読まれる『正信偈』(しょうしんげ、正式名称『正信念仏偈』)が書かれています。

その後、京都で再び比叡山による法難が起こったことがきっかけで、60歳の親鸞聖人は京都に戻り、著述活動に専念します。常陸の国では息子の善鸞(ぜんらん)が親鸞聖人の代わりを務めていましたが、誤った信仰を教え、弟子たちに混乱や動揺を与えたため、84歳の時に勘当します。

弘長2年(1262)11月28日に、親鸞聖人は90歳で亡くなりました。

浄土真宗はほかの宗派とどう違う?

  • 在家仏教

浄土真宗では、親鸞聖人が妻帯していたため、明治時代より前から結婚することができていて、世襲も認められていました(明治時代以降は、多くの宗派で結婚が認められているようです)。

また、お坊さんと言えば髪を剃るイメージがありますが、浄土真宗のお坊さんは親鸞聖人にならい、髪を切らなくても良いことになっています。

  • 他力本願

他力本願には、他人任せで自分は楽をしているイメージがあります。しかし、本来の意味は、阿弥陀如来がわたしたちに本願力を与えているおかげで念仏を唱えているので、自分の力ではなく阿弥陀如来の力によって救われる、というありがたい言葉です。

  • 浄土往生

仏教の他宗派では、通常、亡くなってから四十九日は冥土の旅に出るといわれています。その一方、浄土真宗では、人は亡くなると同時に、阿弥陀仏が建立した極楽浄土で仏に生まれ変わるといわれています(『則得往生』)。

そのため、仏壇に、『霊が宿る場所』とされる位牌もまつりません。

  • 悪人正機

親鸞聖人の弟子・唯円が親鸞聖人の言葉のエッセンスを集めた『歎異抄』の一説『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』が、悪人正機説のもととなった言葉です。

通常ならば、悪人までも救われるのだから、善人が救われるのは言うまではない、と思われますが、その逆で、善人までも救われるのだから、悪人が救われるのは言うまでもない、とここには書かれています。

実は悪人とは悪事を働いた人でなく、煩悩を持っているわたしたちのこと。善人は自力で悟りを開こうとする僧侶のことで、阿弥陀如来の他力本願を信じない善人も救われるのだから、阿弥陀如来の他力本願を信じる悪人が救われるのは言うまでもない、という意味です。

  • 神祇不拝(じんぎふはい)

親鸞聖人は、『神仏習合』の時代にも神を拝まないことを説いたため、浄土真宗では家に仏壇はまつっても、神棚はまつりません。

浄土真宗のおもな年中行事

浄土真宗には10の宗派がありますが、ここでは本願寺派の西本願寺、真宗大谷派の東本願寺のおもな年中行事をご紹介します。

  • 報恩講(ほうおんこう)

親鸞聖人が亡くなった旧暦11月28日までの1週間に行われる法要で、浄土真宗で最も重要な行事です。

西本願寺では11月28日の新暦である1月16日、東本願寺では旧暦と同じく11月28日まで行われます。

  • 宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)

親鸞聖人の誕生日を祝う行事です。西本願寺では、毎年5月20・21日に行われます。

東本願寺では『親鸞聖人御誕生会』と呼ばれ、『春の法要』の一環として、4月に開催されています。

  • 立教改宗記念法要

親鸞聖人が浄土真宗の教えや信心のあり方を記した『教行信証』を書き終え、浄土真宗が誕生した日(4月15日)を記念した法要です。

50年に1回の節目には、『慶讃法要(きょうさんほうよう)』として、親鸞聖人のお誕生日とあわせ、通常よりも期間が長く行われます。前回は2023年に開催されました。

  • 修正会(しゅしょうえ)

『元旦会』(がんたんえ)とも呼ばれる法要で、西本願寺では1月1日、東本願寺では1月1日~7日まで行われます。

  • 彼岸会(ひがんえ)

春分の日と秋分の日を中心に、各7日間行われるお彼岸の法要です。

  • お煤払い(おすすはらい)

毎年12月20日に行われる、年末の風物詩。

割竹で本堂の畳を門徒(浄土真宗の信者)の方々などが一斉に叩き、立ち込めたほこりを、約2mの大うちわで外に追い出します。

仏教に関する言葉の意味は?

日頃聞いたことはあっても、詳しい意味がよくわからない仏教用語はありませんか。この章では、3つの仏教用語をご紹介したいと思います。

  • 般若心経

般若心経』は、大乗仏教の古い経典をまとめた『般若経』のエッセンスを凝縮したお経で、唐の玄奘(げんじょう・三蔵法師)が訳した262文字のものが一番知られています。『般若経』の正式名称は『般若波羅蜜多経』(はんにゃはらみったきょう)で、サンスクリット語で『完全なる智慧の完成』を意味します。

とくに有名な言葉が『色即是空 空即是色』(しきそくぜくう くうそくぜしき)で、すべての物事は変化し、変化するものがこの世に存在するすべてである、という意味で、そのことを知っていれば、人は安らぎの境地に至れるのだそうです。

なお、『他力本願』の浄土真宗や法華経の教えを守る日蓮宗では、『般若心経』は唱えません。

  • 一期一会(いちごいちえ)

一期には『人の一生涯の間』という意味がありますが、天台宗の『常行三昧』という修行法では、90日を一期としています。親鸞聖人は、比叡山で『常行三昧』を行った経験があります。一会には、一つの法会(ほうえ)、法要・説法などの集まり、多くの人が寄り集まる、などの意味があります。

茶人・山上宗二(やまのうえ そうじ)の言葉・一期一会。茶道(茶の湯)における、『すべてのお客様を、一生に一度しか出会いがないものとして、悔いのないようにもてなしなさい』という教えです。

山上宗二は千利休の高弟です。千利休は臨済宗の大徳寺で禅を学び、その精神を次々と茶の湯に取り入れていきました。

  • 冥加(みょうが)

『広辞苑』第7版によると、知らず知らずのうちに神仏の加護をこうむること。目に見えぬ神仏の助力。お礼。報恩。などの意味があります。

浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如上人が語った『蓮如上人御一代記聞書』 には、『冥加』という言葉が繰り返し登場。阿弥陀如来は目に見えなくても力添えしてくださっていて、衣服なども阿弥陀如来から賜ったものなので、与えられたものを喜び、決して粗末にしないことが大切と語られています。

京都では、『冥加に悪い』や『冥加につきる』という言葉をよく使うそうです。『冥加に悪い』とは、物を粗末に扱うと神仏のご加護が受けられないので、倹約しなさい、という意味だそう。そのため、魚は骨に近い部分までいただくなど、命に感謝し、無駄にしないという文化が脈々と受け継がれています。

仏教に関する疑問にお答えします

  • 神社とお寺はどう違う?

神社は、日本独自の宗教『神道』の宗教施設で、日本神話に登場する神々や自然神などの八百万(やおよろず)の神がまつられています。お寺は、約2500年前のインドでお釈迦様が説き始めた仏教の宗教施設です。仏教は6世紀半ばごろまでに日本に伝来しました。

日本には古くから『神仏習合』という風習があり、神道の神様と仏教の仏様を結び付けて信仰していました。そのため、奈良時代には既に、神社付属のお寺『神宮寺』やお寺に神様がまつられているところもあったそうです。(明治時代に『神仏分離令』が出ました)

また、平安時代には、日本の神々は実は仏教の仏様が姿を変えてあらわれた仮の姿という『本地垂迹説』(ほんじすいじゃくせつ)が広まりました。そのため、日本では神社にもお寺にもお参りする方が多くいます。

  • お布施は寄付みたいなもの?

お布施というと、法要などの際にお寺に包むお金のイメージがあります。

布施はサンスクリット語で『ダーナ』といい、本来は『自分のできることを他人にしてあげて功徳を積むこ』を意味しました。ダーナは、『檀家』や『旦那』、『ドナー』の語源ともいわれています。

布施には、お金や食べ物、衣服などを布施する『財施』(ざいせ)、お坊さんが仏様の教えを説く『法施』(ほっせ)、思いやりのある言葉をかけたり、人の恐れや不安などを取り除いて安心させる『無畏施』(むいせ)という3種類があります。

ほかに、他の人に笑顔を見せる『和顔施』(わがんせ)、やさしいまなざしで相手を見る『眼施』(げんせ)、相手に対してやさしい言葉遣いをする『言辞施』(ごんじせ)なども布施になります(『無財の七施』)。

布施は、この世に生きたまま仏様の心境に至るための6つの修行『六波羅蜜』のひとつに数えられています。

  • なぜ初詣は神社とお寺のどちらにお参りしても良いの?

もともと、初詣は、家の代表が年末から氏神様(鎮守)に籠って夜を明かす『年籠り』(としごもり)という習慣から始まりました。その後、大みそかに詣でる『除夜詣』と元旦に詣でる『元日詣』へと分かれていきます。

明治の中頃、鉄道ができたことで、その年の恵方にある有名神社にご利益や厄除けなどを求めて参拝するようになり、現在のような初詣のスタイルになっていきました。

もともとは神社のお参りから始まった初詣ですが、『神仏習合』の影響などで、神社とお寺、どちらにお参りしても大丈夫です。そのため、成田山新勝寺や川崎大師など、毎年多くの初詣客でにぎわうお寺もあります。

なお、神社は忌中期間は初詣を避ける必要がありますが、お寺ならば避けなくて良いそうです。

ビジネスに活かす仏教の教え

京セラやKDDIの会長だった稲盛和夫氏は、幼いころ、お父さんに連れられて、一向宗(浄土真宗の宗派)が弾圧されていた時代から続く『隠れ念仏』に行ったことがあるのだそう。そのとき、お坊さんから、これから毎日『なんまん、なんまん、ありがとう』と言って仏さんに感謝しなさい、と言われたそうです。

この言葉が心の奥底にまで沁みこみ、良いときだけでなく悪いときもありがとうと感謝する心がはぐくまれたのだとか。稲盛氏は臨済宗妙心寺派の僧として得度した後も、この言葉を唱え続けていたそうです。

これから、稲盛氏の『考え方』や『生き方』という本に掲載されている、仏教に縁のある言葉を3つご紹介したいと思います。きっと、これらの言葉の考え方はビジネスにも活かせるはずです。

  • 少欲知足

『総合佛教大辞典』によると、まだ得ないものに対して過分な貪欲を起こさないのが『少欲』すでに得たものが少なくても悔恨しないのが『知足』だそうです。

『考え方』には、できるだけ欲を離れようとすることです。三毒(『欲望』・『愚痴』・『怒り』、煩悩の中で最も強いもの)を完全に消すことはできなくても、それを自らコントロールし、抑制するように努めることが大切です。そうすれば、美しい心が出てくるのです、と書かれています。

また、『生き方』には、私利私欲が混じった『濁った願望』があると、成就することはあっても、けっして長続きはしないですが、逆にその願望が自分の利や欲を離れたきれいなものであれば、それはかならず実現し、また永続するものです、と書かれています。

足るを知り、自分のもうけばかり考えないことが、ビジネスにも人生にも重要なのだと思わされます。

  • 利他

『岩波 仏教辞典』によると、自ら利益を得る『自利』他人を利益する『利他』を兼ね備えることが、大乗仏教の理想とされるそうです。

『生き方』には、会社を経営するのも、家族を養うのにも無意識のうちに利他行が含まれている、と書かれています。しかし、会社のためや家族のためだけ考えるのはエゴと見える可能性があるので、より広い視点から物事を見る目を養い、大きな単位で自分の行いを相対化して見ることの大切さを語っています。

会社だけでなく取引先や消費者、株主、地域の利益に貢献するように努力したり、自分や家族だけでなく、地域、社会、国や世界へと利他の心を拡げていくことで、広い視野が持て、客観的な正しい判断ができ、失敗も回避できるようになってくるそうです。

  • 精進

『岩波 仏教辞典』によると、精魂をこめてひたすら進むこと。大乗仏教の実践を説く『六波羅蜜』の第四徳目に挙げられている、と書かれています。

蓮如上人は『蓮如上人御一代記聞書』(法藏館版) の第九〇条で、『ただ聖教をば、くれ、くれ』(とにかく御聖教を繰り返し繰り返し拝読せよ)、『百反、これをみれば、義理おのずからうる』(書物は百回繰り返して読めば、深意が自ずと理解できる)と語られました。

『考え方』には、リーダーの資質として『人格』が最も重要と書かれています。『人格』にゆがみがあると、『才覚』や『努力』を正しい方向へと発揮させることができず、結果として人生を誤らせてしまうのだそうです。

新しい『人格』を作り上げるには、人間のあるべき姿を示した素晴らしい『哲学』(教祖や儒者などの教え)を繰り返し学び、それを理性で理解するだけでなく、常に理性の中に押しとどめておけるように努力することが必要なのだそう。特に、多くの部下を持ち、責任も大きなリーダーは、できるだけ『人格』を高め、それを維持しようと努力することが求められるそうです。

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