毎日淹れるコーヒーが、なぜか毎回ちがう味になる。その「思い通りにならなさ」から、本レポートは自分の力だけでは生きられない現実を見つめます。縁起や他力の視点を手がかりに、完璧であろうとする力みをほどき、「うまくいかない私」のまま受け入れていく変化をていねいに描きます。
日常の一杯から見出す、思い通りにならない真理
仕事を辞めて、家にいる時間が長くなり、毎日自分でコーヒーを淹れて飲むようになりました。最初はただ美味しい一杯を飲みたいだけでしたが、気がつけばその奥深さに深くはまっていました。
豆の種類で味が変わり、焙煎で変わり、挽き方で変わります。お湯の温度や注ぎ方でも味が変わるのです。同じ豆で、同じように淹れたつもりでも、なぜか毎回違う味になります。思い通りにはなりません。
私はこれまで、「ちゃんとやらなければ」「正しくなければ」と力んで生きてきました。肩書きを背負い、完璧であろうとし、自分を守る鎧を着ていたのです。
しかしコーヒーは、そんな私の思いを軽く裏切ります。条件をそろえても、同じ味にはならない。自分の力だけではどうにもならない部分があることを教えてくれます。
コーヒーが教えてくれる「私の力だけではない」世界
浄土真宗で教えられるのは、「自分の力だけで生きているのではない」という仏教の教えだと思います。私たちは、さまざまなご縁の中で生かされています。豆が育った土地、焙煎した人、水、道具、その日の自分の体調。どれ一つ欠けても、この一杯は存在しません。
それでも私は、「自分がうまく淹れた」と思いたくなります。そこに、自力に頼ろうとする私の姿があるのです。
仏教の教えに触れる:縁起と他力の智慧
けれど、思い通りにならない味に出会うたび、「ああ、自分は思い通りにできる存在ではないのだ」と教えられます。うまくいかない私のままで、生かされている。完全ではないまま、今日も生きている。それでいいのだと、少し思えるようになりました。
ご縁の中で生かされる私たち
肩書きを外し、完璧であろうとする力みを手放し、心の鎧を脱いでみる。すると、不思議と味わいもやわらぎます。コーヒーの味だけでなく、自分自身の在り方も、少し穏やかになりました。
「うまくいかない私」を受け入れる心の変化
一杯のコーヒーから、私は仏教の教えを深く学んでいます。
- 自分の力だけで生きているのではないこと。
- 思い通りにならない私のままで、生かされていること。
今日もまた、そのことに気づかせてもらえたことに、静かに感謝しています。この気づきは、自己受容を促し、生きづらさを解消するきっかけとなるでしょう。
















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
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