誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

「信心」とは何か? 初詣の光景から仏教の教えに見出す「信じる心」と人生の道標

「信心」とは何か? 初詣の光景から仏教の教えに見出す「信じる心」と人生の道標

Report by 細川孝一

初詣で多くの人が行う「神頼み」を超えた、本当の信心とは何か。今回のレポートは、多様な宗教に触れ、浄土真宗の教えの中に人生の道標を見出すまでの記録です。自らの行いを正し、執着を手放して「既に報われている」と気づくことで、人生を自らの足で歩むための知恵を整理します。

初詣の光景から考える「信心」の本当の意味

今年も多くの人が初詣に詣でる姿が見受けられました。どこの神社仏閣でも、人々は何を唱えて祈るのでしょうか。自然と手を合わせる姿になるのはなぜなのでしょう。「神頼み、仏頼み」という言葉が示すように、多くはご加護を求めて祈っている姿でしょう。

しかし、人生は「なるようにしかならない」。普段の行いに目を向け、後悔のない暮らしをすることを見定めたい。私はそんな気持ちを持って感じ取っています。お参りしたから人生が変わるとは限りません。信じる心が大事だと思います。常日頃から願い事が叶わないのは、自身の行いを振り返ることを怠り行動しているからではないでしょうか。

様々な宗教との出会いと仏教への回帰

「今」を振り返ると、私の生い立ちの中で様々な「宗教」に出会ったことを思い浮かべています。幼い頃、母に連れられ集会に行った「日蓮宗」、養母のところでは「真言宗」や「神道」。また、家の中には等身大の「行者様」の木像があり、養父は「天理教」でした。このように多様な環境で育った私ですが、「今」になり仏教の教え、特に「浄土真宗」の真髄仏陀倶楽部 愛葉代表に教えていただき、それが自分の人生の道標となっていることは言うまでもありません。

人生を自分でつくり上げるための「執着」と「迷い」からの解放

大事なことは、自分の人生は自分でつくり上げていくことだと思います。自らの行いを正すこと、これこそが真の「信心」の土台です。その中で最も大切にすべきは、「迷い」「執着」を持たず、既に「報われている」と感じたことを心して(心に留めて)潤いのある人生を過ごしていきたいと考えています。

「南無阿弥陀仏」

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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