誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

愛とは「悩む」こと

子育て

 「子供の通学が心配だから、毎日、車で送り迎えする」

 これは愛でしょうか?

 私の思う「愛」の定義は、「自分以外と一体化しようとする意志」です。行動ではなく意志。

 仏教では「愛」に近い言葉は「慈悲」です。

 自分以外という枠には、人間以外も入ります。動物も、植物も、海や大地も。元々、一体であった全てのものとの境界線をなくし、またひとつに戻ろうとする考え方です。

 分かりやすく言うと、人の気持ちになって考えるとか、共感するとか、他者の幸せを祈るとかを、意志を持ってする行動は、全て愛の表れのひとつです。

 700万部突破の、「愛と心理療法 」という古典的名著では、愛の定義はこう表されていました。

 「愛とは、自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を広げろうとする意志である」

 やはり、意志です。感情に流されてするような行為、恐怖に囚われてするような行為は、決して「愛」とは呼べません。

 そういう意味では、冒頭の車での送り迎えの話は、子供の希望でもなければ、成長にも繋がらず、親の恐怖から来る行動なので、「愛」の行為ではありません。そこに強い意志もありません。

 日本人は、恋と愛の区別もつかないくらい、愛のリテラシーが低い民族だと思っています。恋は感情に流されているだけで、愛とは全くの別の概念です。むしろ、恋心が終わったあとに、残っていたものこそが真の愛。

 子育てをしている親御さんは、子供のことで迷うことが多いでしょう。親のエゴを押し付ける子育ては論外ですが、子供の幸せを思い、子供の成長を思いする悩みはとても尊いものです。子供にどれだけ厳しくし、どれだけ甘やかすべきなのか。どこまで挑戦させ、どこまで守るべきなのか。勉強と遊びのバランスをどこに置くのか。良い学校に行くべきなのか、好きを優先してあげた方が良いのか。

 もちろん結果的に後悔することもあるかもしれませんが、その「悩んだ」という行為自体が愛の行為であり、愛があるからこそ悩みが生まれたのです。大好きな人が、どんなプレゼントをあげたら喜んでくれるのかと、何日も悩むのと一緒です。

 子供の数だけ、正解の数があります。やりながら、迷いながら、反省しながら、親は愛を学び、子も悩んでいる親を見て、愛を感じるのです。

 いま悩んでいる方。悩んでいる自分を誇りに思いましょう。悩むプロセスこそが愛の象徴なのですから。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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