3年ほど前より、兄と音信不通となっています。きっかけは些細な事であったと思います。
コロナ禍のなか、55歳を過ぎている兄が、転職をしたいと思っていると父に話しをしました。父は兄のことを思い、この時期にその年齢で転職先が見つかるのか、見つかったとしても今の給料より落ちるのは目に見えている、特に資格もなくやりたいことがあるわけでもないのに、考え直すように助言しました。父の助言を、兄は自分をいつまでも子供扱いをしていると、その時から実家を避けるようになりました。何度か私が説得を行いましたが、昔から兄は頑固なところもあり、なかなか折れてくれませんでした。
未だ独身で人付き合いもなく、そんな兄のことを思い両親は、兄が将来住めるようにとシニア向けのマンションを購入し、現在両親が住んでいます。兄の顔が見れなくなったことで、元々認知があった母が取り乱し、症状が悪化、兄と会えないのは私のせいだと責め立てられ、私も我慢の限界を超え、兄に両親へ連絡しなければ会社へ連絡するとメールしました。すると、会社に連絡したら縁を切ると返ってきました。
そんなに父に言われたことに対して、家族と縁を切るほどに憤慨していたのか、当たり前のことを言われたことで55歳を過ぎた大人がと、兄の気持ちが分からず距離を置くことにしました。それから3年、全く連絡なしです。
命のことで何かあれば連絡があるだろうと思っていますが、両親も高齢となり、もしかしたら兄に会えずに逝ってしまう可能性も出てきて、どうしたものかと悩んでおります。怒りを持ってはだめだということはわかっていますが、どうしても兄に対しての怒りが治まりません。3年その場を離れてみましたが、まだ気持ちが切り替わっていません。
ネガティブな気持ちほど引きずってしまう、つらいこともあれば同様に良いこともある。物事は決して同じままではありえない。という言葉を目にして、もう少し自分を引いて、新しい風を取り入れ気分を変えてみようと思います。まだ時間はかかるかもしれませんが、自身の気持ちを落ち着かせ、冷静になった時、もう一度、兄と向き合おうと思います。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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