あらゆる生き物は快楽を求めており、これ自体は良くも悪くもないと思います。
人類も石器時代と現代を比べれば、天と地ほどの便利さと快楽を得られており、これからも快楽の追求は果てしなく続くでしょう。
しかし、これが本当に快楽をもたらしているのかは、微妙な事だと感じています。
身近な例では、洗濯機や掃除機の発明で人々は楽になりましたが、空いた時間に余計な仕事や余計な遊びが入り、心の余裕が生まれたかは人それぞれだと思います。
また労働からは開放されましたが、今は逆に運動不足で肥満や糖尿病などが深刻になっています。 快楽を求め楽になったと思いきや、そこには落とし穴があると言うことです。
同様に宗教も神仏を求めれば求めるほど、なぜか神仏から遠ざかると言う落とし穴があると、私には思えてなりません。
この気持ちがだんだんと薄れてしまうからではないでしょうか。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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