誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

釈迦力に他力

人は皆、死に向かって懸命に生きています。その死に至る生きる日々は、その死の正体が分からなく恐ろしいと感じることも含めて一切皆苦であります。しかし私達の身体は意識や心に関係なく、解剖学的にも不随意運動などによって、生きようとします。

そのため、超自然的にその生きるが終わる死に対する方法やあり方よりも、今どう生きるかが永遠にテーマとなり、様々な方法やあり方が提案され続けています。その答えもお釈迦様が一番わかりやすく教えてはくれています。

様々な生き方指南がありますが、おおよそ共通しているのは“今この瞬間を大切にする”ということではないでしょうか。

このような生き方をしている人を“ナウイスト”といったりもしますね。

今この瞬間に目の前に起きている事象に対して全力で当たる。ここで誤解しては行けないのは、全てに対して能動的であれと言っているのでは無く、休む、眠る、サボるといった事象に対しても全力であることが重要であるということです。

何に対しても全力で一生懸命、または一所懸命に生きる姿を想像すると、個人が個人として高まっていく、高めていくイメージになりやすいような気がします。それはそれでいいのですが、やはり人は一人では生きていけません。この全力で一所懸命、または一生懸命である様をお釈迦様はこのように教えてくださいます。

“しゃかりき”であると。しゃかりきを漢字に変換すると、釈迦力となります。死に向かい、今この瞬間を全力で一所懸命、一生懸命生きることは、お釈迦様の力そのものであると私は理解しています。

そして、衆生の人それぞれにそれぞれが個別に尊く、自力であれると知るだけでなく、お釈迦様の力、お釈迦様の500の本願に帰依する、ついては阿弥陀さまの42の誓願に帰依するという解釈が、“しゃかりき”を通してできると思います。これこそ他力の状態でもあります。

他力は誤解を生みやすい考え方であると思う。

しかし個人が今この瞬間を一所懸命、一生懸命に生きることを「釈迦力(しゃかりき)に生きる」と表現すると、衆生を余すこと無く救うことをも同時にはらみ、これぞ他力を正しく解釈し実践する景色が見えてくるようであると私は思うのです。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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