命あるものは、必ず終わりを迎える時が来ます。人間も例外ではありません。
そういう意味では、我々はこの世に生を受けた時から、死という終着点に向かって歩んでいるという言い方もできるでしょう。
不老不死は、いつの世でも叶うことのない永遠のテーマですが、終わりのない人生を想像すると、ある意味とても怖い気がします。
マラソンはとても苦しいスポーツですが、必ずゴールがあります。もしゴールが決まっていなくて、倒れるまで走り続ける競技だとしたら、参加したいと思うでしょうか?
受験勉強や資格試験も、テストというゴールがあるから、そこに向けて頑張ることができます。テストの日から逆算して学習計画を立て、本番で成果を出せるように努力を続けて行くことになります。
人生にも「死」というゴールがあるからこそ、限られた人生を実りあるものにするために頑張れるのかもしれません。
ただし、マラソンや試験と決定的に違うのは、人生のゴールがいつかは、誰にも分からないということです。今日この後、不慮の事故にあって命を落とす可能性も0ではありません。病気がちであったとしても、100歳を超えるまで生きることになるかもしれません。
人生のゴールが訪れるその日まで、自分でも分からないのです。
だからこそ、いつゴールが訪れても自分の人生に悔いを残さないように、目の前の1日1日を、今この一瞬一瞬を、大切に生きることがとても大切なのではないでしょうか。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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