Report by 釋 真道
日本人に特有の「許せない」国民性とは
リール動画で見たことですが、雨が降ってくるとすぐに傘をさす日本人を見て、外国人の人が笑っていました(嘲笑ではないです)。「そんなすぐ差さなくてもいいじゃないか」というニュアンスで。この現象に象徴されるように、日本人という国民は諸外国と比べて、「少しの不快も許せない」傾向があるように思います。
小さな不快感に対する過剰な反応
電車の中で肩が少し当たった。店員さんが注文を取りに来るのを忘れていた。待ち合わせに5分遅刻した。こんな些細なことで、いちいち腹を立てて、許さない傾向を持つのは、日本人くらいではないでしょうか。お隣の中国や韓国には少し似た傾向があるかもしれませんが、日本人が「許せない」のはもはや文化と言えるほどです。
文化としての「責任の明確化」と「償い」
日本において、許す代わりに求められるのは、「責任の明確化」「秩序の回復」「反省と償い」です。何か問題が起きたときに、誰がやったのかを突き詰め、その人を責め、反省と償いを求めることで、場を解決しようとします。SNSで起こる行動は、ほぼすべてここに収束します。犯人捜し、寄ってたかっての糾弾、謝罪させて責任を取らせる、という流れです。
時代遅れな責任追及文化の限界
甚大な被害が出たときでさえ、犯人がいないときも多々あります。どの人も善意であっても、システムの問題や偶発的なことで、問題は起きるのです。それでも、日本人は強引に犯人を探し出し、その人に謝罪させることで、みんなの溜飲が下がるという方法を選択しがちです。
国民が愛する時代劇も、「水戸黄門」や「赤穂浪士」といった、犯人を捜して謝罪させて責任を取らせる物語が主流です。犯人を罰することが、日本人は大好きなのです。
刑務所に入った人も、反省文をたくさん書かされて、反省文の書き方が非常に上手になるそうです。内心はあまり反省していないそうですが(笑)。
しかし、この責任追及の手段は、もはや時代遅れではないでしょうか。もう終わって良い文化ではないでしょうか、と思います。そんな小さいことでいちいち争いの火種を起こしても、誰も得しないし、あなたの魂の成長も起こりません。
「お互い様だから許そう」で良いはずです。大抵のことは。
仏教が説く「許す」ことの真の意味
スマホと一緒で、文化もどんどんアップデートしていかないと、現代の日本人の価値観とのずれが生じてしまいます。田舎に古くから残る慣習なども良い例です。現代社会において、この「許せない」という許すことの難しさを乗り越えるためには、仏教の教えが大きなヒントとなります。
釈尊の教えでも、怒りや恨みに執着することが自らを苦しめる根本原因であり、許すことがその苦しみからの解放への道とされています。
怒りの執着が自らを苦しめる
私たちは、相手を許さないことで、その怒りの感情に自ら執着し、苦しみを増幅させています。これは、相手ではなく、自分自身を鎖につないでいる状態です。真の解放は、相手の行動ではなく、自分の心のあり方を変えることから始まります。
「許す」ことは魂の成長に必要な「筋トレ」
ただ、簡単に「許す」と言っても、それは思った以上に難しい行為です。「許せない」という感情を、腹を決めて大きな「愛」で包み込むような行為なので、とても勇気のいることです。これこそが、私たち自身の魂の成長に不可欠な修行です。
大きな愛で包み込む勇気
この難しい行為をしないことには、あなたの魂の真の成長は起きません。「許す」という魂の筋トレを日々積んで、私たち自身が住んでいるこの世界を、より良いところに変えていきたいものです。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
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