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投資の秘訣から学ぶ「忘れる大切さ」:執着を捨て、生きづらさを解消する仏教の教え

最近は株価の乱高下が展開されているが、そこで一つの言葉を思い出した。

投資の「忘却」が仏教の教えに通じる理由

「株で儲ける秘訣は案外、その株を放ったらかしにして、存在を忘れてしまうことでは?」と、かつて専門家がおっしゃっていた。この言葉を思い出したとき、私はすぐに「これって執着を捨てるという仏教の教えに通じるのでは?」と気づいたのである。

株価の動きを頻繁にチェックし、小さな変動に一喜一憂することは、まさに執着の典型だと言える。専門家は、むしろその銘柄の存在を「忘れ」、長い目で放っておくことが成功の鍵だと示唆した。これは、心の平安を保つ上でも極めて重要な視点である。

執着を生む「思い出す」行為

仏教では、煩悩の根源は執着(愛着、渇愛)にあると説かれる。この執着は、必要以上に過去や未来を思い出し、それについて考えてしまうことから生じる。まさに現代の私たちは、常に情報に触れ、頭の中で過去や未来、そして所有物について考えてしまうあまり、結果として執着を生み出し続けている。

必要以上に思い出すこと、考えてしまうことこそが執着を生み、結果として自分自身で生きづらい環境を導いているのかもしれない。株の話は、私たちが普段いかに些細なことにも執着し、心を乱しているかを教えてくれた。

人生を楽にする「忘れる大切さ」

私たちはしばしば、記憶力が高いことや、すべてを把握していることが優れていると考えがちである。しかし、『忘却力』という言葉があるように、人生において「忘れる」ことで、心の道がひらけ、楽になることは多々ある。

「忘れる」とは、単なる記憶力の低下を指すのではない。それは、過去の失敗や他人の評価、あるいは手に入れたものへの執着を手放し、今この瞬間に集中する心の技術である。

執着を捨てることで得られるのは、心の自由と生きづらさからの解放だ。まるで長期間放っておかれた株が大きく成長するように、私たち自身の心も、雑念という執着から解放されることで、本来の清らかさを取り戻すことができるのだ。

人生において忘れることこそが、心の道を開く鍵になるのではないかと深く感じるのである。私たちはもっと、上手に忘れる力を身につけるべきなのかもしれない。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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