国を、地球をもっと良いところにしたい。そんな思いは、人間の本能に疼いているかも知れない。だから止められることではないかも知れない。
それでもなお「地球は発展に固執しなくて良い」って思ってしまう。発展至上主義の人からは、こういう意見をよく聞く。
「地球の発展に寄与しないバカは要らない」
本当にそうだろうか?そもそもバカの定義ってなんだ?そういう思考こそが格差を生み、差別を生み、人類の魂の発展を食い止めている。
わたしはこう思う。もし目標があるとするなら。地球に棲みついたすべての生きとし生けるもの、どんな人だろうと、どんな生き物だろうと、すべてが自分らしく幸せに生きれることが最大の目標だと。
犯罪者であろうが、ゴキブリであろうが、すべてには尊い魂があり、等しく幸せになる権利がある。あなたも私も、虫けらだった時代も、罪を犯した他生もあるだろう。
私は、好奇心を満たし切ってくれるスマホの中毒者である。本当に便利になったし、その進化には感動する。ただ、スマホがなかった時代を振り返ると、幸せは前の方が上回ってたのではないかという疑念がどうもぬぐえない。
待ち合わせは会えるかドキドキし、旅に出れば知らない道に迷い込み、子供の成長はしっかり目にだけ焼き付け、休みの時にわたしを邪魔するものはなく、公園ではただぼーっと自然を感じるだけ。自分次第なんだろうけど、便利さを得た引き換えに、こういう貴重な時間が失われた。
物質的な豊かさと幸せは比例しないって、人類が何千年も前に発見していても、物質的な豊かさを追い求めてしまうのが人間。それも尊い人間の性。
全体の発展は止められないと思う。でも、個々の生き方は自由であり、内面の幸せを追求していくことはできる。物質的な発展が加速すればするほど、バランスよく内面の幸せを見つめていかないと、きっと何かが破綻していく。
こんなに便利になったのに、発展を求め、競争しているから、人類は生きていくのがちっとも楽になっていない。模造紙でプレゼン発表していた時代にくらべたら、我々は10倍以上のスピードで働いてるのではないだろうか?どれだけ働く効率が上がっても、働いている時間は変わってない。
とにもかくにも、周りに流されるだけではなく、私の幸せはなんぞや?というのを追求していこう。スマホも、ブランドバッグも、車も、ミシュランも、あなたを幸せにするツールとは限らない。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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