誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

仏教に深い学びあり

ともしび

 仏教は学べば学ぶほど、深い真理に気づかされることがあります。 「仏教は聴聞に極まる」と言われますが、繰り返し教えを聴くことにより、深い真理に気づかされるということを実感しています。その中で私が感じたことを、ここに書き記したいと思います。煩悩の塊である人間には、実に奥深い仏教の学びが必要なのだと痛感いたします。前置きはこのくらいにして、以下に最近私が思うところを述べてみたいと思います。

 仏教で言うところの阿頼耶識について考えていると、日々の自分自身の行いの積み重ねがいかに重要かを深く考えさせられます(阿頼耶識とは、心の最も深い部分にある「識」と説明されます)。

 私の愚痴、怒り、不満といった感情が常に湧き起こり、繰り返されることで悪業として阿頼耶識に書き込まれます。一方で、笑顔、感謝、道案内、座席を譲ること、掃除といった親切な行いは、善業としてこれもまた阿頼耶識に書き込まれていきます。

 何が言いたいかと言うと、毎日の善業・悪業の行いの連続が1日となり、1ヶ月、1年、さらには今世全体の「総合帳簿」となるということです。この善業と悪業の差引残高によって、来世の境遇が「六道」(人間道、畜生道、餓鬼道、地獄道、天道、修羅道)のいずれかに決定すると教えられています。

 自分なりのイメージとして、善業・悪業の1日、1ヶ月、1年、今世の帳簿を、銀行の預金通帳に例えると大変わかりやすく理解できました。+の善業は「お預かり金額欄」、-の悪業は「お支払い金額欄」に記帳され、足し算と引き算で総合残高が決まり、それによって来世の自分の行き先が決まる、というわけです。そうすると、日々の個別の行いが決定的に重要であるということが理解できました。よって、一日の終わりに、月の終わりに、年の終わりに、そして人生を全うするその時に、その「残高」が大きく変わってくるのです。

 このように考えると、「一日一生」、すなわち人生の一瞬一瞬を積極的に努力して生きるということの意味が、より明確に実感できるようになりました。

 また、私は毎日の振り返りとして「瞑想」を始めました。その日の良かったこと、悪かったことを内省するこの時間はとても貴重であり、瞑想を通じて実に多くの気づきを得ています。

 これからも、学びを大切にしながら、日々善業を積み重ねていけるよう努めてまいります。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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