Report by 釋慈豊
困っていた知人を救い、経営の哲学を説き、再出発を支援してきたつもりが、待っていたのは「不正」と「裏切り」でした。社員の不正を知りながら、あえて強く叱らずに「優しく諭す」道を選んだ経営者。しかし、その甘さがかえって相手を深い罪へと引きずり込んでしまいます。仏教が説く「慈悲」とは、ただ許すことなのか。それとも、過ちを厳しく正すことなのか。更生保護に携わる著者が、自らの苦い経験から得た「真の救い」の形を綴ります。
仏教的指導と慈悲の心の葛藤:社員の不正に直面して
私が更生保護に力を入れていることは何度もお話をしてきましたが、人を諭し教えを導くことと慈悲の心は違うのだと、今回私の会社で起きた事件で深く考えさせられました。この出来事を通じて、仏教が説く慈悲と厳しさのバランスについて深く内観することになりました。
助けを求めてきた社員への支援
ある人から、弊社に入社したいと一年前に電話連絡が来て、面接することにしました。その相手は数年前からの知り合いで、今勤めている会社を退職したい、残業の未払いがあること、サービス残業ばかりであることを訴えてきました。私は資料を見て約60数万円ほど未払いがあると試算し、弊社の顧問弁護士に相談して、労働基準監督署を交えて未払い分の残業代を受け取れるよう支援することにしたのです。
その人は弊社に勤めてから真面目に勤務していました。自分で事業を起こしたいとのことでしたので、時間があると私の経験、経営者としての心構え、責任などいろいろと諭すように経営について教えてきました。特に経営者の責任として社員の家族の生活の保証、働いた分への正当な報酬など、経営者として怠ってはいけないこと、自分の責任が他人の生活の幸不幸を左右することを教えてきたつもりでした。
真の慈悲とは何か? 厳しさを見過ごした私の過ち
ですが、その社員は突然退職届を私のデスクの上に黙って置いていきました。私はあまりの非常識に本人を呼び出し話を聞きました。
私はその社員が会社の事務員を欺いて会社からお金を欺取していたことを知っていましたが、今までその社員にお金を返すように言わずに、「お前、寂しいことをするなよ」というだけでした。自分ではその社員のために優しく諭していたつもりだったのですが、それは間違いだということに今になって気づきました。その社員は怒られないのがわかって何度も不正行為を繰り返すようになったのです。
私が最初から厳しく叱っていれば、その社員は改心したのかもしれません。私は慈悲の真の意味を履き違えていたのだと今、痛感しています。優しくすることで人を間違った道に進ませてしまったのかと深く後悔しています。
仏の道としての「厳しさ」の必要性
後になって判明したことですが、以前勤めていた会社の残業未払いの資料もその社員が不正に作成していたものだとわかりました。優しくするだけが仏の道とは思えません。人の心の弱さに対し、適切な指導こそが真の慈悲であると痛感しています。
警察に被害届を出し、本人が改心して正しい道を歩んでくれることを願っています。
















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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