誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

「あなたはもっと報われていい」から:自分だけの幸せと利他心による「報われる」人生

「あなたはもっと報われていい」にて

Report by 細川孝一

自分だけの幸せの追求が、利他心へと変わる時

『あなたはもっと報われていい』のメッセージを深く内観してみると、そこには仏教的な「自利利他」の教えに通じる、重要な気づきがありました。

「徹底的に自分だけの幸せを追い求めてみる」—これは、自分自身の「好き」が明確になった時に、真に「報われる」道を開く第一歩です。しかし、この「報われ」の過程で、私たちは一つの葛藤に直面します。

なぜ「自分だけが報われる」ことに罪悪感を覚えるのか

自分の「好き」がわかったら徹底的に自分の幸せを追い求めてみよう。そうすることで自分は「報われる」と信じます。しかし、同時に周りの人、家族のことにも気遣う心情になってきます。これは、人が持つべき「道理」ではないでしょうか。

みんなが幸せになりたいと思っているときに、自分だけが「報われる」ことに「罪悪感」を覚えるのは自然な感情です。仏教においても、自己の充足(自利)だけで満足せず、他者(利他)を想う心こそが真の幸せへの道とされます。

まず、足元の幸せを見つめ直す

ですから私はまず自分と家庭のことを考えます。夫婦共に生活をしている中で、共通の趣味を生かし、共に好きな花を育てたり、時には少しですが家庭菜園での実りに喜びを感じています。

家庭菜園という日常の気づきは、私たちが当たり前に享受している「命」と「恵み」への感謝を深めてくれます。植物にも命があります。種をまき芽が出てくると「喜び」を感じ、大きく育ってくれば目を配り、花が咲けばまたそれなりの「喜び」を感じます。菜園では、「命」の限り育ってくれた野菜に感謝をし、食べさせてもらっています。こんな幸せなことはないと思います。

真の「報われる」状態とは:奉仕と感謝の連鎖

この小さな幸せの積み重ねこそが、私たちの自己肯定感を高めていくのです。

「感謝」は自分だけのものではない。周りの人々にも「感謝」を感じてもらってこそ「報われる」べきことではないでしょうか。私はこのように思って日々に「感謝」をし、この気持ちを忘れることなく、常に奉仕の心を持った人生を全うすれば、「報われた」と感じ取ることができると思います。

自分を大切にし、満たされた心で他者にも喜びを分け与える利他心こそが、罪悪感なく、真に「報われる」道です。

「信心」を忘れることなく、「南無阿弥陀仏」。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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