私の親友が二人、仏様となりました。
彼女らと過ごした日々は、何事にも変えられない素晴らしい日々でした。そして学びでした。
一人は、大人になってからの親友でした。
私の娘が、自殺未遂をおこした時からの付き合いです。私が娘の自殺未遂に悩み、自分の命を絶とうとした頃でございます。
彼女は一生懸命話を聞き、私に寄り添い励まし続けてくれました。そのおかげで命を絶つこともなく、今を生きることができております。
その時に彼女が言った言葉は、彼女の命、もう、大人なのだから冷たい様だけど、どう使おうが彼女の自由なんやと。もう、19歳、あと少しで二十歳になろうという娘は、もう大人なのだと。
彼女は、甘やかすのではなく、突っぱねてみるのも1つの愛情なのだと言いたかったのだと思います。私も少し過保護だったと反省しました。
私は幼いときから母が看護師をして、夜勤もありました。ほったらかしの日が、小学生の頃から多々ありました。
自分のことは自分でやらないと生きていかれない生活でした。その反動で何から何までやりすぎていたのかもしれません。
そして、私の心の中の、未だ解決しない思い。それは、私のような者が、生きていてもよいのかという悩みです。私は一緒に住んでいた祖母から、小学生の頃から早く死ねばいいのにと言われて育ちました。自分を肯定出来ないのです。
自分が生きていてよいのか、未だに答えが出ません。
それを憂いてのことか、彼女は、私の命は私のもの。好きに生きたらいい。でも、これだけは忘れないで。とにかく、前だけを向いて歩いていってほしいと。亡くなる数日前に電話でそう話してくれました。
体がしんどいのに、わざわざです。その次の朝も、ラインで、大切なことだからもう一回言うよ!とにかく前を向いて!と。だから私は、親友のこの言葉に従って前を向いて歩いていくのみです。約束したのですから。
彼女はその数日後、息を引き取りましたが、私のラインには息を引き取る数時間前まで、返事をくれていました。
もう一人は、高校時代からの親友でした。一緒に学び、弁当を食べ、遊んだ親友でした。
嬉しいときも悲しいときも一緒にいてくれました。辛いときも、嬉しいときも、じっくりゆっくり話を聞いてくれた友でした。お互いの結婚式にも行きました。
今思い浮かぶのは楽しいことばかりです。何時間でも話を聞いてくれる友は海のような人でした。
私はこの二人の親友の事を忘れません。そして自分が生きている間は、沢山思い出します。
二人と出会って、こんなに幸せなことはありませんでした。
いつまでも彼女たちは私の心の中で生きています。