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仏教スランプ①~それがいいじゃない~

私は仏教が好きだ。つまりはお釈迦様が好きだ。
故にお釈迦様を追いかける。お釈迦さまは人間仏陀は生前どこに到達したのかを。
でもなんだか追い求めれば追い求める程、“空”となる。
解ろうとする程、理解しようとするほど、“空”となる。
“空”を了解できても、納得したくない畏れが沸き上がる。
これは仏教スランプかもしれない。
だから大好きなお釈迦様をかき分けてかき分けて見つめたい。

シッタルダ王子は王家の後とりとして、経済的に裕福な暮らしが生まれながらに約束された人であった。しかし人の生きる様を知り、当時あった宗教バラモンに所属した。
そこで難行苦行の日々を送り、満身創痍となり、骨と皮だけのような状態にまでなり、半死半生となったものの、『人の生きる』は分からないままであった。
ただその極限状態の中、スジャータの乳粥で生気を取りもどし、菩提樹の元で座った。

そこでひたすらに『人の生きる』に対し思いを巡らし、思考し、考え抜いた。そして悟られた。

「人の生きる」は一切皆苦であると。この世は諸行無常であると。人は諸法無我であると。それを解り、中道メソッドを日々行えば、涅槃寂静となり、死の恐怖すら己に取り込み溶かしていけるのだと。

この真理を気の知れた5人に分かってもらい。広げられた。
広げたのも最初のうちで、それは人の最大の疑問であり苦しみであった為、その答えとしてみるみると広まっていった。これが仏教と呼ばれ発展していった。

しかしお釈迦様は仏教すらも諸行無常であり、空に帰すると考えていた。諸法無我である人が携わる限り。お釈迦様は自身を模したり、昔話や伝説を形にして崇拝する事を禁じた。

あくまで人の生きるの真理に到達する為に励めと言われた。どんな方法でもいいから、どんな時間をかけてもいいから真理を得よと。
そしてお釈迦様も人であったので死から自由ではない。真理到達に励みなさいとこの世を去った。

私は改めて思う。
お釈迦さまと言う人間はどこまでも深く、かつ幅広く、とことん『人の生きる』を追求され、その真理を教えて下さった方だと。
この深い懐と自由さ、シンプルさと現実感がたまらなく好きだ。
もし親鸞聖人に今、会えるチャンスがあったなら、「親鸞様もお釈迦様の事が好きで好きでたまらないのでしょ。」って尋ねてみたい。きっと、「うん。ワシ、お釈迦様オタク。」って言うと思う。多分その前の七高僧と言われる人らも。

でももしかしたら、私の見つめるお釈迦様は当時、健在だったころとは違うかもしれない。真理も違う形で表現されていたかもしれない。でも“それがいいじゃない。”と思える事こそが四法印を学んだ今の私。それがいいじゃない。

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