Report by 釋 知高
1年の闘病生活を乗り越えて:不安から希望へ
我が家の小6の娘は、病気のために1年近く学校に通えていませんでした。4ヵ月入院していましたし、退院後もリハビリをしながら保健室登校等で様子を見ていました。体調は一進一退が続き、「いつまでこの状態が続くのか」と親子共々不安になったこともありました。病気による困難が続くと、人はなかなか前向きになれません。
この1年近く、病気のために笑顔が消え、まったく無気力になり、難しいこと・苦手なことに一切チャレンジをすることがなくなり、本人曰く「つまらない毎日」をずっと送って来たのです。親として、その姿を見るのは本当に辛い日々でした。
最近になってようやく教室に戻ることができ、普通に学校生活を送れるようになったところです。
娘の言葉に見た「日常の幸せ」と充実感
昨日私が仕事が終わって帰宅したら、娘は学校の宿題に一生懸命取り組んでいました。私の顔を見るなり、「パパ、今日も頑張れたよ! 勉強は難しいけど、一生懸命取り組んでいると毎日が充実していいよね」と言うのです。
私は不覚にも涙がこぼれそうになりました。(こぼれたのを隠しました)
学校に普通に通えるようになっただけでもすごいことなのに、こんな前向きな発言が聞けるようになるとは……親としてこれほど嬉しいことはありません。元に戻っただけと言えばそうなのですが、「もうあの元気な頃には戻れないかも」とちょっと覚悟していた自分もいました。
私は娘の今日の発言を聞けただけで十分です。苦難を経て、本人が日常の幸せを心から享受し、充実感を得ていることが伝わってきます。
仏教に学ぶ、当たり前の大切さ
病気という特別な状況を経て、私たちはいつもの生活をいつも通りに送れることが、どれほど貴重で幸せなことなのだということを、改めて深く実感しています。
この気づきは、仏教の教えにある「感謝の心」と強く結びついています。失って初めて気づく、目の前の「当たり前」の大切さ。娘が困難を乗り越え、再び日常の幸せを見つけた姿は、私たち大人にとっても内観の機会を与えてくれました。
日々の小さな出来事や、何気ない健康、そして学びに励める環境。これらすべてが奇跡なのだと捉え直し、日々を送っていきたいと願っています。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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