既に、30年近く前に亡くなった私の祖母は仏教に深く帰依しており,1980年代当時としては珍しく,仏陀の足跡を辿ってインドや中国にまで行ってしまう程でした。
私も幼稚園から小学生低学年のころは、良く祖母に築地の本願寺に連れられ,お説法を聞いた事を覚えています。
中でも、正信偈の後半に詠われる南無阿弥陀仏の連呼は,私の記憶に強く残っていました。
悪人正機についても祖母から年度となく聞かされ,また親鸞様の歌も良く聞いたものです。
それから、約50年の歳月を経て,私も今祖母と同じ浄土真宗を学んでいる事に運命を感じざるを得ません。
中高大では仏教などすっかり忘れ,目に見えないモノは一切信じず,神や仏など単なるファンタジーだと豪語していた私がです。
大学生のある時,同じく浄土真宗に帰依していた叔母に対して,南無阿弥陀仏の念仏でなぜ救われるのか?と,その根拠を聞いた事があります。
この叔母は、東北大学数学科を卒業したのちにカナダに移住していた聡明で理論的な方なので,宗教を信じていると聞いた時には、信じられないと思った程です。
その彼女の答えは,「念仏により救われるのは根拠があるからではなく,信心があるから救われるのである。」との事でした。
当時の私としてはキツネにつままれた感じでしたが,続けて彼女は,「人間程度の知識と知恵で,宇宙の全てを掌握できると思っているのであれば,それは思い上がりではないか?」と言われました。
科学や技術を妄信していた私には思いもよらない内容で,それが故に。これも私の記憶に強く残った出来事でした。
今こうして過去を振り返ると,そこには確かに仏縁があり,様々な経験を通してようやく機が熟し,今ここで彼女たちと同じく仏教に帰依できた事にまことの悦びを感じる次第です。
タネがあっても水,空気,温度などの様々条件が揃わないと芽が出ない因縁果の法則を,身をもって体験いたしました。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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